半導体の歴史――真空管からチップ戦争までの100年
真空管の時代からトランジスタの誕生へ
半導体の物語は、じつは「半導体」そのものが主役になる前から始まっています。20世紀前半、電子回路の主役は真空管でした。真空管は、ガラス管の中に電極を配置し、電子の流れを制御することで信号を増幅したりスイッチングしたりするデバイスです。ラジオや初期のコンピューターは、何千本、何万本もの真空管によって動いていました。しかし真空管は大きくて壊れやすく、電力消費も多く、熱も大量に発生するという欠点を抱えていました。
一方その裏側で、「固体」の中で電流が流れたり止まったりする現象に注目する研究も進んでいました。銅酸化物やセレンなどを用いた整流器、ドイツで発明された「ラジオ検波用の鉱石検波器」などは、現在の半導体デバイスのごく初期の姿だといえます。とはいえ、この段階ではまだ、真空管に取って代わる決定打にはなっていませんでした。
転機となったのは、第二次世界大戦後の1947年、アメリカのベル研究所での発明です。ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテン、ウィリアム・ショックレーらの研究チームが、ゲルマニウムという半導体材料を用いた「点接触型トランジスタ」を発表しました。トランジスタは、真空管と同じように信号を増幅・スイッチングできるにもかかわらず、極めて小さく、壊れにくく、消費電力もわずかです。この発明はエレクトロニクスの歴史を根本から変える出来事でした。
その後、構造がより安定した接合型トランジスタが開発され、材料もゲルマニウムからシリコンへと移行していきます。シリコンは地殻中に豊富に存在し、熱に強く、酸化膜を利用した加工がしやすいという利点を持っていました。シリコンの精製技術と、インゴット(単結晶棒)からウェハーを切り出す技術が進歩したことで、シリコン半導体は大量生産が可能になり、トランジスタラジオやトランジスタテレビなどの製品として世界中に広がっていきました。
集積回路とマイクロプロセッサが切り開いた情報社会
トランジスタの発明は画期的でしたが、複雑な電子回路を組もうとすると、個々のトランジスタや抵抗、コンデンサを配線でつなぐ必要があり、部品点数や配線の複雑さがすぐに限界に達してしまいます。この課題を解決するために登場したのが「集積回路(IC)」です。1950年代末から1960年代初頭にかけて、ジャック・キルビーやロバート・ノイスらが、複数のトランジスタや受動素子を一枚の半導体基板上にまとめて形成する技術を確立しました。これによって、回路は小型化され、信頼性は高まり、製造コストも大きく下がりました。
集積回路の製造には、「フォトリソグラフィ」と呼ばれる技術が用いられます。シリコンウェハーに感光性の膜を塗り、マスクを通して光を当て、必要な部分だけを選択的に削ったり、ドーピング(不純物添加)したりすることで、きわめて微細なパターンを刻み込むことができます。この手法の改良を積み重ねるなかで、半導体メーカーは、チップ上に搭載できるトランジスタの数を指数関数的に増やしていきました。
1965年、インテルの共同創業者ゴードン・ムーアは、「一定期間ごとに、チップに集積されるトランジスタの数は倍増する」という経験則を提唱しました。いわゆる「ムーアの法則」です。これは厳密な物理法則ではありませんが、半導体産業の開発ロードマップとして長らく意識され、企業や研究機関はこのペースを維持するために微細化技術を競い合ってきました。
この集積の流れの中で登場したのが「マイクロプロセッサ」です。1971年にインテルが発表した4ビットCPU「4004」は、一つのチップの上にコンピューターの中枢である中央処理装置(CPU)の機能をほぼすべて詰め込んだ初期のマイクロプロセッサです。その後、8ビット、16ビット、32ビットと性能は向上し、パーソナルコンピューター、ワークステーション、サーバーへと応用の幅が広がりました。
マイクロプロセッサの進化とともに、メモリチップ(DRAMやフラッシュメモリ)や各種ロジックIC、通信用の半導体なども高度化していきます。半導体はもはや単なる部品ではなく、「情報社会を動かすインフラ」として、コンピューター、通信、家電、自動車産業を巻き込みながら急速に存在感を高めていきました。
日本とアジアの興隆、そして地政学の主役となった現在
半導体が巨大産業として立ち上がるなかで、日本は1970〜80年代に世界のトップランナーの一つとなりました。日本企業は高い製造技術と品質管理能力、官民一体の研究開発プロジェクトを背景に、DRAMなどのメモリ分野で圧倒的なシェアを獲得していきます。VLSI(超大規模集積回路)プロジェクトなどの国家的な取り組みもあり、日本製半導体は「高品質で壊れない」電子機器の象徴となりました。
しかし、日本の成功はアメリカとの摩擦も生みました。1980年代後半には日米半導体摩擦が激化し、不公正な貿易や dumping が問題視されます。これを背景に、メモリ中心のビジネスモデルに偏っていた日本の半導体産業は、1990年代以降、価格競争や為替変動、需要の変化に直面し、徐々に存在感を低下させていきました。一方で、日本企業は製造装置や材料、検査機器など、「半導体をつくるための半導体周辺産業」で世界的な強みを維持していくことになります。
同じ頃、台湾や韓国が急速に台頭します。台湾では「ファウンドリ」と呼ばれる受託製造に特化した企業モデルが発展し、設計はするが工場を持たない「ファブレス企業」との分業体制が整いました。TSMCなどのファウンドリ企業は、世界中の設計会社から受注してチップを製造し、半導体供給網の中核に成長します。韓国勢はメモリで世界シェアを伸ばし、スマートフォンや家電とのシナジーも活かしながら巨大プレイヤーとなっていきました。
21世紀に入ると、半導体の需要はさらに拡大します。スマートフォンの普及、データセンターとクラウドの拡大、AIや機械学習のブーム、電気自動車や自動運転、IoTデバイスなど、あらゆる領域で半導体が必要不可欠になりました。とくにAI向けのGPUや専用アクセラレータは膨大な演算能力を要求し、最先端プロセスで製造される高性能チップが戦略的資源として扱われるようになっています。
その一方で、トランジスタの微細化は物理的な限界に近づきつつあり、従来の延長線上のスケーリングだけでは性能向上を続けることが難しくなってきました。このため、3次元構造のトランジスタやチップレットと呼ばれる分割チップの統合、特殊用途向けアーキテクチャ、先進パッケージング技術など、新たなアプローチが模索されています。
今日、半導体は単なる産業を超え、国家安全保障や地政学の中心的テーマにもなっています。供給網の一部が止まるだけで、自動車からゲーム機、スマートフォンに至るまで世界中の生産が滞ることが、パンデミック時の「半導体不足」で広く認識されました。各国政府は、自国に半導体製造拠点を誘致し、研究開発支援や補助金を通じて「チップ戦略」を打ち出しています。
このように、半導体の歴史は、単にトランジスタや集積回路の技術的進歩の歴史であるだけでなく、産業構造の変化、国際政治、そして私たちの日常生活のあり方そのものと深く結びついています。真空管の時代から始まった「電子を制御する技術」の探求は、半導体チップという形で私たちの手のひらやポケットの中に収まり、いまもなお、次の世代のコンピューティングと社会の姿を形づくり続けているのです。
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