プロフィール:最首英裕(さいしゅ えいひろ)
株式会社グルーヴノーツ 代表取締役社長・創業者。 早稲田大学第一文学部にて詩人の鈴木志郎康に師事。卒業後は、都市再開発事業のコンサルタントを経て、都市空間におけるIT基盤の企画・開発に取り組む。その後、米国Apple Computerの製品開発プロジェクトの日本対応開発責任者として、様々な製品開発を手掛ける。株式会社グルーヴノーツ設立後は、AIと量子コンピュータを活用したサービスを開発。金融・物流を中心に数多くの社会課題を解決。金融分野における高度なインテリジェンス機能の実現や、物流分野におけるインテリジェンスと量子コンピュータの融合などに取り組む。
技術ありきではない——課題起点の量子導入
グルーヴノーツの創業は2011年。最首氏はそれまで経営してきた自らの会社を売却し、福岡にあった会社を買収して社名を変更、新たなスタートを切った。社名は「Groove(演奏者と聴衆が互いに盛り上がり最高の演奏ができている状態)」と「nauts(航海士)」を組み合わせた造語で、顧客や関わる全ての人たちがわくわくでき、社会全体が可能性に満ちあふれるように——という思いを込めた。
技術の進化により、シンプルな構造で少人数の方が優れたシステムを作れる時代になった。にもかかわらず、現場は相変わらず人数と予算の規模を競っている。
「お金と時間をかけない方が良いものができるのに、なぜ日本のIT業界は人数と予算の規模を競うのか」——そんな問題意識から、創業以来、最先端技術をわかりやすく使えるプロダクト開発に取り組んできた。当初は量子ではなくAI分野に注力し、2017〜2018年頃にはディープラーニングの実装を進めていた。
量子との出会いは2018年。コールセンターの電話本数予測プロジェクトでのことだ。グルーヴノーツが作成した予測モデルの精度は高かったが、その結果を基にオペレーター配置を最適化する段階で壁にぶつかった。従来の数理最適化では計算時間がボトルネックとなり、プロジェクトが進まなくなったのだ。
「最適化問題をもっと高速に解けないかと考えていたところ、カナダのD-Waveという量子技術のサービスを紹介された。使ってみたところ、手応えを感じた」(最首氏)。
量子コンピュータには大きく分けて2つのアプローチがある。一つは「量子アニーリング」で、焼きなまし(アニーリング)という物理現象を量子の世界で応用し、組み合わせ最適化問題を高速に解くことに特化した手法だ。もう一つは「量子ゲート」方式で、量子の性質を活かしたゲート構造を組むことで、組み合わせ最適化以外の問題にも対応できる、より汎用的なアプローチである。グルーヴノーツが2018年に導入したD-Wave社の量子技術は、前者の量子アニーリングだ。
「技術ありきではない。解くべき課題があって、その答えとして量子に辿り着いた」。最首氏が語るこの「課題起点」のアプローチは、同社のあらゆる技術選択に通底している。
「半歩先」が最適解—普及を阻む人間心理の壁
しかし、7年間の実践を通じて最首氏が実感したのは、量子コンピュータのような新しい技術の普及を阻んでいるのは、技術的限界ではなく人間心理の壁だということだ。
量子コンピュータは人間が手作業では到底解けないような複雑な問題の解を見つけ出すことができる。しかし、人間の理解を遥かに超える高度な解を顧客に提示すると、意外にも採用されないと最首氏は指摘する。
なぜか。人間の想像を超える最適解を出されても、それが良いのか悪いのか判断できない。人間は理解できないものには手を出せないからだ。『これはすごい」「これはいい」などと評価できるのは、理解できている範囲内にあるからこそ——最首氏はそう指摘する。
では、技術革新はどこまで進むべきなのか。ディスラプティブな技術は歓迎されるが、破壊的変化の度合いが大きすぎると、良し悪しさえ判断できなくなる。ましてや失敗すれば責任問題になるとなれば、決断はさらに難しい。「ある程度想像ができる範囲で、自分ができないこと。半歩先ぐらいが一番心地よい」と最首氏はこれまでの学びを明かす。
ここに量子のような新技術の普及に共通するジレンマがある。人間が理解できる範囲なら「量子を使うほどでもない」となり、理解を超えれば「判断できない」と敬遠される。給与計算を例にとると、「1万人分の足し算を1秒で行う」なら価値は明快だ。しかし複雑な組み合わせ最適化の結果を瞬時に出されても、その正しさを検証できなければなかなか導入に踏み切れない、と最首氏は説明する。
心理的な壁に加え、経済合理性の問題もある。人間が一時間かけて解いている問題を削減しても、時給換算での効果がわずかであれば導入の動機にならない。最首氏は「最適化にお金をかけてでも取り組む価値がある業種や業務でなければ、導入する意味はない」と明言する。
最適化に投資する価値がある領域として、少子化による人材不足が深刻な物流と製造だという。限られた人数でより多くの課題を解かなければならないこの2分野こそ、現在、量子アニーリングが最も効果を発揮している領域だという。
量子技術の現在地—アニーリングの実用化とゲートの可能性
グルーヴノーツが2018年の導入から7年。量子技術自体はどう進化したのか。
量子アニーリングについて最首氏は、「量子ビット数は確実に増えてきたが、ここ数年足踏み状態が続いている」と現状を語る。一方で、量子ゲートの領域では研究レベルでの進化が著しいという。
量子ゲートが実用化されれば、AI分野への影響は大きい。最首氏は特にLLM(大規模言語モデル)への応用に注目している。
「量子ゲートが普及し始めると、AIの計算速度が劇的に速くなる可能性が高い。そうなるとLLMの計算速度も飛躍的にあがり、複雑な試行錯誤がともなうAgent的な昨日が、数分ではなく瞬時に返ってくる。学習も速くなり、リアルタイムで世界の情報を把握できるようになる」
現在、複雑な調査や分析には数分かかるが、量子ゲートによってこれが瞬時に完了する。さらに、AIの性能が飛躍的に進化することにより、刻々と変化する世界の情報をリアルタイムで処理できるようになる。より少ない人数で複雑な業務をこなす必要がある金融業界にとって、この変化の恩恵は特に大きいと最首氏は見ている。
グルーヴノーツでは現在、量子ゲートを使った量子ニューラルネットワークの実装を試験的に進めている。まだまだ課題は多いが、実際に動かしながら可能性を探っているという。まさに「課題起点」「実装優先」という同社の哲学が、ここでも貫かれている。
一方、量子アニーリングでは既に具体的な成果が出ている。代表例が、自動車工場の組み立て工程の最適化だ。製造ラインでは、部品の取り付けや工具の使い方など、一つひとつの動作に無駄が生じやすい。例えば部品を取る際に一歩余分に歩くだけで、作業時間が積み上がっていく。こうした動線を量子アニーリングで最適化し、無駄な動きを削減することで、ライン全体の滞留時間が短縮される。
「ラインの滞留時間が短くなると、工場全体の生産能力が上がる。工場の生産設備の減価償却は時間単位でかかるので、単位時間あたりの生産能力が上がれば、製造コストは結果的に安くなる」
この取り組みは自動車会社の研究部門との共同開発によるもので、具体的な数値は非公表だが、少人数で生産性を高めるという現代の製造業が直面する課題に、量子技術が実践的な答えを出しつつある。
CIOが今すぐ始めるべきこと
量子技術の普及が進む中、日本企業の間では大きな格差が生まれつつある。時価総額1兆円を超える大手企業はスタートアップを含む実力あるパートナーと積極的に組み、技術の内製化を進めている。一方、時価総額1兆円未満の中堅企業は大手ベンダーへの依存から抜け出せず、高いコストをかけながらもイノベーションが遅れるという悪循環に陥りがち。これについて最首氏は「本当に実現すべきことは何かを求めているわけではなく、業務が回ればよい、システムが動けばよいという発想になっている」と指摘する。
さらに、AIを活用し対話しながらコードを生成できるバイブコーディングの登場が、この格差を加速させる。開発生産性が50倍、60倍になる中、先行して活用を始めた企業との差は時間が経つほど埋まらなくなる。最首氏は「中堅企業が最も危機的な状況に置かれている。今後の格差は想像以上に広がる」と警鐘を鳴らす。
では、CIOは今何をすべきか。
・まず触れてみる——実装優先の姿勢
CIOにとって重要なのは、自ら技術に触れる姿勢だ。最首氏は「本当のイノベーションは量子ゲートから始まる」と見ており、まだ実用化段階ではないものの、3年以内に実験的な実装を始めれば遅くはないと指摘する。
ただし、エンジニアに任せきりにしてはいけない。技術の面白さだけで判断するのではなく、事業の中でどう技術を活かすかという視点が必要だ。この判断ができるのは、経験と技術理解を兼ね備えたCIOだからこそだと最首氏は強調する。
グルーヴノーツ自身がその実践例だ。同社では量子ニューラルネットワークやニューロモルフィックコンピュータなど、新しい技術が登場すれば、まずコードを書いて動かしてみる。最首氏が一貫して強調するのは「理論より実装」だ。技術理解のプロセスを車の運転に例え、「本で読むよりもプログラムを書いた方が理解が深まる。新しい車について雑誌で読むより、実際に乗った方が分かるのと同じだ」と説明する。
・AIを使いこなすための「基礎知識」
CIOには、AIツールを使いこなすための基礎知識も求められる。
バイブコーディングを例に取ると、その本質が見えてくる。グルーヴノーツでは量子アニーリングと数理最適化のハイブリッド構造をバイブコーディングで高速実装している。しかし最首氏は「プログラムの知識がなくてもコーディングできる」という風潮には懐疑的だ。知識なしに使い始めると必ず行き詰まる。どこに問題があるのかを見極め、アルゴリズム自体を見直す判断ができるのは、基礎知識がある人だけだからだ。
LLMの活用についても同様だ。ただし、完璧な知識である必要はない。最首氏は、LLMが技術とビジネス課題の橋渡し役になると見ている。ある領域は詳しいが別の領域は曖昧という「まだら模様の知識」であっても、AIと対話しながら考えを整理し、企画書にまとめることは可能だという。ただし、基礎的な理解があるという前提条件がある、と最首氏。
・小さな失敗を積み重ねる
最首氏が最後に強調したのは「小さな失敗の重要性」だ。自然界では、山火事が頻繁に起きる場所では大規模な山火事が起きにくく、小さな地震が多い場所では大地震が起きにくい。企業も同じ原理が働く。トライアンドエラーを繰り返し、致命傷にならない失敗を重ねることが、壊滅的な失敗を防ぐ。
「失敗しないようにすればするほど、いつか大きな失敗に行き当たる。市場から退場せず、規模を縮小することなく存続したいのであれば、激しくトライアンドエラーを繰り返すしかない」と最首氏。
少子化が進む中、少ない人数で社会を維持するために量子技術とAIへの期待は高まる一方だ。例えば自動運転の車内で宿泊し食事ができるようになれば、それは交通なのか宿泊なのかーー交通と宿泊、製造と物流など既存の業種の境界が曖昧になり、連続性を感じにくい変化が次々と訪れる。こうした変化に対応していかなければならない。
まずはハンドルを握り、アクセルを踏んでみる。半歩先の未来は、理論の中ではなく実装の先にある。