テクノロジーを信じ、価値を問い続けた20年——その軌跡が導いた「人間中心のAI」
——これまでのキャリアについて教えてください。
私のキャリアの出発点は、新卒で入社したコンサルティング企業でした。最初はシステム開発やアーキテクチャ設計に携わり、その後、2004年からは海外のコンサルティング企業の研究所で研究開発のマネジメントを担当しました。
当時は、ブログを中心としたユーザー生成コンテンツ(UGC)が注目を集め始めた時期で、同時に企業が保有するデータをどう分析し、そこからどんな価値を引き出すかというテーマが盛んに議論されていました。私はその流れの中で、AIとインターネットが持つ可能性に強い確信を抱くようになったのです。
やがて、「インターネットは単なる情報発信の手段にとどまらず、企業や社会のシステムをつなぎ、ビジネスをスケールさせる時代が来る」と感じるようになりました。そこで2006年、そうした未来像を実現するためにインターネット企業に転職し、研究開発をリードするポジションに就きました。
世界各地に研究所を設立し、変化の激しいインターネット業界の中で、技術の力でビジネスの成長を支える仕組みづくりに取り組んでいた時期です。
一方で、2015年頃からテクノロジーに対する社会的な不安や懸念も顕在化してきました。データ解析におけるプライバシー問題や、AIが「ブラックボックス」と化して何をしているのか分からない、といった課題が議論され始めたのです。
その流れの中で、私自身も「これからのテクノロジーは、活用だけでなくガバナンスとの両輪で進めなければ、社会の健全な成長はない」と考えるようになりました。そこで2020年頃、別のコンサルティング企業に移り、先端技術領域のリーダーとしてガバナンス課題に取り組みました。
ただ、ガバナンスを重視しながらも、「AIはこの先さらに大きな可能性を切り拓くのではないか」という予感は常に持っていました。そして2022年、生成AIが登場したことでその思いは確信に変わりました。AIが人間の創造性に与える影響、そしてそれがビジネスの本質的なテーマになることを強く感じたのです。
そうした問題意識を深めていた頃、2024年に博報堂DYグループからお声がけをいただき、CAIO(Chief AI Officer)としてジョインしました。博報堂DYグループが掲げる「生活者を起点としたクリエイティビティプラットフォームへの変革」というビジョンは、まさに私の考えと一致していました。
現在は、「人間中心のAI」や「人のクリエイティビティを拡張するAI」という新たなテーマに挑戦しています。これまで培ってきた研究・開発・ガバナンス・ビジネスの経験を総動員して、AIを人と社会の創造的成長につなげていくことが、今のミッションだと感じています。
「研究をビジネスにつなげる」——新たな仕組みづくりへの挑戦
——これまでのキャリアの中で、特に印象に残っているプロジェクトは?
これまでのキャリアの中で最も印象に残っているのは、インターネット企業で手がけた「研究をビジネスにつなげる仕組みづくり」のプロジェクトです。グローバルな研究開発体制をゼロから構築し、研究成果を実際の事業成長に直結させることを目指しました。
具体的には、世界5カ国・8拠点に研究所を設立し、150名ほどの博士号を持つ優秀なコンピューターサイエンティストを世界中から採用しました。彼らとともに、企業が抱える課題や膨大なデータを分析し、それを起点に最先端の研究テーマに取り組める体制を整えたのです。
実際に研究所の立ち上げにあたって、さまざまな大学の先生、あるいはトップの技術者の方々に「どういう研究所があると、研究や社会、ビジネスにとって良いと思いますか」と話を伺ってまわったんです。
各国の大学教授やトップエンジニアにヒアリングを重ね、「理想の研究所とは何か」「研究と社会・ビジネスの接点をどうつくるべきか」を徹底的に議論しました。
その中で見えてきたのは、研究の現場には人材やノウハウはあるが、現実の課題やデータがないという構造的な課題でした。一方でビジネス側は誰かに解いてほしい課題が常にあり、データも大量にあるんですね。
そこで私は、「研究者が実際のビジネス課題やデータに自由に触れられる場をつくれば、研究のポテンシャルも広がり、ビジネスも加速するはずだ」と考えました。つまり、研究とビジネスをダイレクトに結びつけることこそが、次の価値創出につながると確信したのです。
この取り組みによって、研究成果は国際的なトップレベルの学会で論文として採択され、同時に実際のサービスやプロダクトへと反映されていきました。クラウドやハイパフォーマンスコンピューティングの基盤技術、スマートフォン向けのサービス、ユビキタス環境でのデジタルサイネージ、ソーシャルメディア分析など、幅広い分野で研究が直接ビジネスの成長を支える仕組みを実現できたのです。
さらに時代の進化とともに、AIやディープラーニングの技術も積極的に取り入れ、プロダクトやサービスに統合していきました。このプロジェクトの本質は、単に新技術を導入することではなく、研究から実装、そして事業展開までを一気通貫でつなげるプロセスを確立した点にあります。
たとえば、AIを活用した金融分野での「クリエイティビティスコアリングサービス」や、ロボティクス領域での「ドローンによるデリバリー」など、社会やビジネスに実際のインパクトを与えるプロジェクトも生まれました。
研究体制のスケール、ビジネスへの波及効果、そして再現性のある仕組みを確立できたという点で、この経験は私のキャリアの中でも特に大きな成果だったと感じています。
アカデミアとビジネス——交わらない2つの文化を融合させるまで
——これまでのキャリアの中で、最もチャレンジングだった出来事を教えてください。
私のキャリアの中で最もチャレンジングだったのは、「研究をビジネスにつなげる仕組みづくり」に取り組む中で、アカデミアの文化と、インターネットビジネス特有のスピード感ある文化という、大きく異なる二つの文化を融合させることでした。
この取り組みを始めたのは2006年頃。当時、インターネット企業の中で博士号を持つ研究者が活躍することは、まだ珍しい時代でした。
アカデミア側には、「研究者が本当にインターネット企業で働けるのか」といった文化的な不安があり、一方の企業側にも、「研究者人材のキャリアパスをどう設計すべきか」「トップレベルの学会で評価された研究を、事業としてどう位置づけるか」といった課題がありました。まさに両者の間に深い溝があったのです。
その溝をどう埋めるかを考え抜いた結果、私は「既存の企業文化」と「研究者のコミュニティ文化」を融合させた第3のカルチャーをつくる必要があると考えました。
その実現に向けて、社内外のコミュニケーションを増やしたり、新しい人事制度や評価体系を導入したりすることで、研究者がビジネスに安心して参加できる環境づくりに徹底的に取り組みました。制度を変えるだけでなく、価値観そのものをすり合わせていくような作業だったと思います。
同時に、研究の成果を「Perpetual beta(永遠のベータ版)」として、システムやサービス、プロダクトに継続的に組み込むプロセスを整備しました。研究を一度の成果で終わらせず、常に改善と実装を繰り返す仕組みを組織全体に根づかせたのです。こうしたカルチャーと仕組みの両輪をつくり上げたことが、異なる文化を融合できた最大の要因だったと思います。
目に見えない文化の形成と、具体的な仕組みづくりの両方を同時に進めるのは本当に大変で、仕組みが安定して回るようになるまでには5年ほどかかりました。ですが、この経験は現在、CAIOとして取り組んでいる全社的なAIトランスフォーメーションの推進に、大きく生かされていると感じています。
AIの導入とは、単にシステムにAIを組み込むことではありません。どうすれば生産性を上げられるのか、業務プロセスをどう変えるのか、そして従業員一人ひとりの働き方をどう良くしていくのか——そうした取り組みのすべてが、最終的には企業文化の変革につながっていきます。
AIという新しい文化をどう組織に取り込み、全社的な変革をボトムアップで進めていくのか。その挑戦の原点には、かつて世界中の研究所を立ち上げ、多様な研究者を束ね、価値創出の仕組みを築いたこの経験があるのだと実感しています。