システム部門から保険の新サービス開発へ ——これまでのキャリアについて教えてください。 住友生命に入社して以来、一貫してシステム部門を歩んできました。保険会社の基幹システムから周辺領域まで幅広く携わり、新たな販売チャネルの構築や商品開発に伴うシステム対応など、事業の変化に応じたプロジェクトを数多く経験してきました。 そうしたキャリアの中で、大きな転機となったのが、約10年前に参画した健康増進型保険「Vitality」のプロジェクトです。それまでの延長線上にはない、まったく新しい発想と仕組みが求められる取り組みでした。このプロジェクトを通じて、単にシステムを構築する立場から、ビジネスモデルや顧客体験そのものを設計する立場へと視座が広がりました。 現在、デジタル共創オフィサーという役割を担っていますが、その原点は間違いなくVitalityの取り組みにあります。 Vitalityプロジェクトという試練 ──これまでのキャリアにおける最も大きな功績をお教えください。 最も印象に残っているのは、健康増進型保険「Vitality」の立ち上げと、その後の運用です。2016年に開発を開始し、2018年にサービスをスタートさせるまでの道のりは、まさに試行錯誤の連続でした。 Vitalityは、従来の生命保険とは発想そのものが異なる「サービス型保険」です。保険という枠組みの中で完結するのではなく、お客様の日常に入り込み、継続的に利用されることを前提としたモデルであり、社内には前例もノウハウもありませんでした。スマートフォンアプリの開発、運動データを扱う分析基盤の構築など、当時の住友生命にとってはいずれも未知の領域でした。 そこで、外部のコンサルティング会社の知見を取り入れながら、自らも徹底的に学び直しました。技術だけでなく、ビジネスモデルや顧客体験の設計まで踏み込んで理解しなければ、前に進めないと感じたからです。 しかし、本当の試練はサービス開始後に訪れました。システムが停止することもありましたし、機能の所在が把握しきれない場面もありました。従来型の保険システムとは構造が異なるがゆえに、全社的な理解と運用体制の整備が追いついていなかったのです。 それでも、組織全体で知見を蓄積し、改善を重ね続けた結果、今ではお客様から「楽しい保険だね」と声をかけていただけるまでになりました。その言葉は、数々の困難を乗り越えた先に得られた、何よりの成果だと感じています。 Vitalityプロジェクトで得た学びを教育プログラムへ ──大きな実績を上げるまでにはどのようなチャレンジがあり、それは現職でどう生かされていますか。 Vitalityプロジェクトを通じて強く実感したのは、ビジネスモデルの設計力とUI/UXの重要性です。どれほど高度な機能を実装しても、使い方が直感的に理解できなければ、お客様に使っていただくことはできません。利用されなければ、そのサービスは「つまらない保険」という評価で終わってしまいます。では、どうすれば使い続けてもらえるのか。どうすれば日常の中でワクワクする体験に変えられるのか。機能の実装以上に、顧客体験の設計そのものと向き合う必要があると痛感しました。私たちは、その問いを起点に、徹底的に仮説と検証を重ねてきました。 そこで得られた知見を体系化したのが、「ビジネス発想力向上プログラム」です。お客様は何を求めているのか、それをデジタルの仕組みと組み合わせることで、どのような新しい価値が創出できるのか——。こうしたビジネスの発想を、を特定の専門家だけでなく、誰もが考えられるように設計した教育プログラムです。社内での評価も高く、現在は社外企業にも提供しています。 このプログラムを通じて、共創先企業との関係も深化しました。たとえば大手飲料メーカーのサントリーとは、「Vitalityと健康茶を掛け合わせることで、どのような新しい体験が生まれるか」といったテーマで、双方の社員が議論を重ねています。単なる提携にとどまらず、実際のサービス創出につなげる取り組みです。 現在、Vitality単体でも数十社との連携実績があり、デジタル共創プロジェクトとして検討している企業は約30社にのぼります。健康系飲料・食品、美容、化粧品、鉄道、旅行など、業種は多岐にわたります。UI/UXと顧客価値を起点にした発想は、業界の枠を越えた共創へと広がりを見せています。 人的ネットワークこそが最大の武器 ——これまでのキャリアを通じて大事にしてきたことは何ですか? 最も大切にしてきたのは人的ネットワークです。 社内に前例やナレッジがない課題に直面したとき、鍵を握るのは「誰に聞けるか」です。答えを知っている人にアクセスできるかどうかで、プロジェクトの進み方は大きく変わります。Vitalityの立ち上げは、まさにその典型でした。国内に十分な知見がない中で、海外で同じような取り組みを行っているコンサルティング会社の方々から情報を得られたことが、大きな支えになりました。 社外活動を通じて得た情報や人脈は、単なる参考情報にとどまりません。経営会議の場においても、具体的な裏付けとして機能しました。「Vitalityに本当に賭ける価値があるのか」という問いに対して、外部の事例や市場動向を踏まえ、「これだけの情報があるからこそ挑戦できる」と明確に示すことができたのです。 結果として、その情報が経営の意思決定を後押ししました。情報の質と量が組織の覚悟を左右する——その事実を、身をもって体験した瞬間でした。人的ネットワークは、単なる人脈ではなく、変革を動かす力そのものだと考えています。 やりがいの源泉は、保険業界と日本をアップデートすること ——デジタルAI共創オフィサーとして、どのようなところにやりがいを感じますか? 最大のやりがいは、「業界の枠を超えるチャレンジ」に挑み続けられることです。Vitalityは、従来の保険商品とは異なり、サービス型モデルとしてお客様との接点を広げ、継続的な関係性の中で顧客価値を高めていく取り組みです。その構想が形になり、実際にお客様の体験が変わったと感じられたとき、保険業界だけでなく、日本社会そのものを少しでも前に進めているのではないかという実感があります。 一方で、強い危機感も常に抱いています。インターネットの普及という大きな転換期に、保険業界全体として対応が後手に回ったという経験があるからです。だからこそ、デジタル、データ、そして生成AIという新たな波に乗り遅れてはならない。その思いが、今の取り組みを後押しする原動力になっています。 AI活用については、慎重さと前向きさの両立が不可欠だと考えています。個人やスタートアップにとってAIは即戦力になり得ますが、大企業や自治体のように組織が複雑で、ミスが許されない環境では、そのまま適用できるとは限りません。人が担うべき領域とAIに委ねられる領域をどう切り分けるか。現在はその実証を重ねながら、再現性のある形へと体系化しようとしている段階です。 その中で特に意識しているのが、「中抜き」の問題です。生成AIの進化によって、企画や発想といった上流工程を、経験豊富なシニア人材が一人で完結できる場面が増えつつあります。しかし、その過程が短縮されることで、若手が試行錯誤を通じて学ぶ機会が失われる可能性があります。自らのスキルやノウハウをAIに学習させ、それを育成ツールとして活用する仕組みづくりについても、社長と議論を重ねているところです。 意思決定そのものは管理職の役割として残るでしょう。しかし、そこに至るまでの育成プロセスが断絶すれば、次世代のリーダーは育ちません。この課題は住友生命に限らず、日本全体が向き合うべきテーマだと感じています。デジタル共創オフィサーとして、技術活用と人材育成の両輪をどう設計するか。それこそが、いま私が最も挑戦しがいを感じている領域です。 CIOに必要なのは重層的な意思決定と情報収集力 ——CIOに必要な資質とは何でしょうか? 私が最も重要だと考えているのは、情報収集の巧みさと、重層的に意思決定を行う姿勢です。 CIOのもとには、現場から上がってくる情報があります。一方で、自ら外に出て取りにいく情報もあります。さらに、経営層の思考や戦略意図も踏まえなければなりません。それらを断片的に捉えるのではなく、立体的に統合した上で判断することが求められます。 その際に大切なのは、「意思決定は一つではない」と考えることです。一つの選択肢に全てを賭けるのではなく、もし前提条件が崩れた場合の次の手、その次の手までをあらかじめ設計しておく。前提が揺らいだ瞬間に思考が止まり、袋小路に入ってしまうのが典型的な“負けパターン”です。 不確実性が高い時代においては、「必ず勝つ」よりも、「負けない設計」を重視すべきだと考えています。仮に負けたとしても、ロスを最小限に抑え、次の一手につなげられる状態をつくる。その発想は、CIOにとって欠かせないものです。 特に今は、AIや新興プレイヤーの台頭によって競争環境が急速に変化しています。これまでの成功体験の延長線上で判断を続けてきたリーダーほど、変化に直面したときに動揺しやすい傾向があります。大企業もまた、組織の規模に安住するのではなく、個人として戦える人材を育て、小さな単位で俊敏に動ける体制を整えていかなければなりません。そうでなければ、機動力に優れたスタートアップとの競争で後れを取る可能性があります。 CIOとは、単なるIT責任者ではなく、不確実な時代における意思決定の設計者である——私はそのように捉えています。 リーダーは変化を傍観してはならない ——これからCIOを目指す人材に求められるスキルは何でしょうか? CIOを目指す方に伝えたいのは、「時代の変化を傍観しない」という姿勢です。 2000年代初頭、インターネットやSNSが急速に広がり始めたとき、私は強い危機感を覚えました。「これは大きな転換点になる」と直感し、自らサイトを立ち上げ、プロボノ活動にも参加しました。業務の延長線上だけでなく、自分の時間を使って試行錯誤を重ねた経験が、いまの判断軸や対応力につながっています。 変化の波が押し寄せたとき、傍観者でいるのか、当事者として関わるのかで、その後の視座は大きく変わります。会社の業務の中でも、あるいは趣味の範囲でも構いません。自分の手で何かを試してみることが、変化が本格化したときに動ける力を生み出します。 同時に、「内にこもりすぎない」ことも重要です。同じ組織の中に長くいると、温度感や価値観が均質化し、外部環境の変化に対する感度が鈍りがちです。業界団体や勉強会、資格取得者のコミュニティなど、多様な場に足を運ぶことで、すでに変化の波に直面した人、あるいは今まさにその渦中にいる人の声を直接聞くことができます。その生の声こそが、最も鋭いアンテナになります。 保険業界においても、デジタルプラットフォーマーが販売に参入する可能性など、外部からの圧力は確実に高まっています。だからこそ、自ら外に出て、多様な人と交わることが不可欠です。変化を予測することは難しくても、変化に備えることはできる。そのための第一歩は、傍観者にならないことだと考えています。 共創とAIで保険体験を再定義する ——今後の展望と取り組みをお教えください。 4月から始まる新たな中期計画に向け、いくつかの方向性が明確になっています。軸となるのは、Vitalityのさらなる進化、共創先企業の拡大、そしてAIを活用した顧客体験価値の高度化です。 私たちが目指しているのは、単なる「技術導入としてのAI」ではありません。「体験価値を高めるAI」「業務そのものを変革するAI」として活用し、保険事業のあり方自体をアップデートすることです。AIを効率化ツールにとどめるのではなく、顧客との接点や体験設計の中核に据えることが重要だと考えています。 データ連携についても、発想の転換が不可欠だと実感しています。既存データを後から無理につなぎ合わせるのではなく、最初に「どのような顧客体験を実現したいのか」という仮説を立て、そこから逆算してデータ取得や設計を行うべきです。 たとえば、サントリーの「特茶」との連携では、健康意識の高い当社のお客様が健康茶を好む傾向にあるのか、また飲用によって歩数が増えるといった行動変容が起きるのかを検証しています。これは、目指す体験価値を明確にした上で設計しているからこそ実現できる取り組みです。既存データ同士を後から組み合わせようとすると、多くの場合、構造の違いが障壁となり、難航してしまいます。 データサイエンティストの方々には、ぜひ事業の上流工程に踏み込み、顧客価値の設計とデータ活用を一体で考えてほしいと思います。分析の精度を高めるだけでなく、「どの体験を実現するためのデータなのか」という視点を持つことで、活用の質は飛躍的に向上します。 保険という枠を越え、共創とAIを通じて新たな顧客体験を創り続けること——。それが、私自身、そして住友生命にとっての次の挑戦です。
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