財務からAI、クラウド、復興支援まで:変化を恐れず挑み続けたキャリアの軌跡 私は大学卒業後、IBMに入社し、26年間勤務しました。その間、社長や人事以外のほとんどの業務に携わり、16の業種を経験しました。最初に配属されたのは財務部門で、4年間、損益計算書(P/L)やバランスシートを毎日読み込む日々を送りました。 この経験が、今の私の経営視点の土台となっています。 もともと私はソフトウェア開発に強い関心がありました。思い切って当時のCFOに相談したところ、CTO兼研究所のトップに掛け合ってくださり、念願だったソフトウェア開発研究所(日本IBM大和事業所)への異動が実現しました。財務出身という異色の経歴で、ソフトウェア開発とはまったく業務も違っていました。しかし、それこそ移ってから自己研鑽を重ねることで、問題なく開発の現場に溶け込むことができました。 研究所では12年間在籍しました。そこでは3ヶ月ごとに新しいプロジェクトに参加し、プログラム開発に取り組みました。財務の知識を活かし、企業の倒産確率を予測するAIソフトウェアの開発にも携わりました。これは、ニューラルネットワークを使って財務諸表から企業のリスクを分析するもので、今で言うAIの先駆け的な取り組みでした。 そして、2009年頃には、クラウドコンピューティングの波が到来します。当時、IBM本社でもまだクラウド事業は本格化していませんでしたが、日本から先行して立ち上げることになり、私はその中心メンバーとしてアメリカ本社にも赴任しました。 帰国後、東日本大震災が発生。私はすぐに東北へ入り、岩手県南三陸市を中心に復興支援に取り組みました。クラウド技術を活用しながら、スマートシティ構想と連携した支援活動を行い、現地責任者として2年間活動しました。 その後東京に戻り、WatsonやAI関連の事業に携わりました。さらに、LINEグループに執行役員として参画し、日本発のベンチャー企業の経営にも挑戦しました。 コロナ禍を経て、ベイシアグループ(カインズワークマン)に移り、CDOとしてIT子会社を立ち上げ、代表取締役を3年間務めました。そして現在はご縁があり、ロート製薬にて新たな挑戦を続けています。 IBMからカインズワークマン(現ベイシアグループ)までの軌跡:人材と組織の力を引き出す 「すべてが深い経験でした。」 そう語るのは、カインズ、ワークマンなどグループ会社30社を含むと売上総額1兆円を超える小売グループ(現ベイシアグループ)の変革を牽引した樋口氏。IT人材の採用から人材育成、制度改革の刷新まで、まさに“人事含めてすべてを担った“と言います。 「当時はエンジニアがスーツ姿をしていましたが、今はカジュアルな服装で働いています。服装一つとっても、カルチャーを変えるというのは大きな挑戦でした。」 DX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉が軽く使われがちな昨今。しかし、樋口氏はその本質を「人と組織」に見出す。IT人材の採用・育成の仕組みをゼロから構築し、制度そのものを見直すことで、社員が働きやすい環境を整えていった。 「制度を変えることも重要ですが、採用、育成含めて人、組織が変わることが重要です。」 一方で、技術面でも彼の歩みは深い。30年前、IBMの新人時代からAIに触れ、Watosonのプロジェクトにも関わってきました。今、生成AIが急速に進化する中で、樋口氏はその変化を冷静に見つめています。 「AIは私の人生とずっとつながっている存在です。時代によって形は変わっても、本質は変わらない。だからこそ、今の生成AIの波も、しっかりと人と組織に根ざした形で活かしていきたい。」 人、組織、そして技術。三つの軸をつなぎながら、樋口氏はこれからも変革の最前線に立ち続けます。 キャリアの軸を自分で作る:IBMで学んだ最も印象深いアドバイス 「自分のキャリアは、自分で作るんだ。」 この言葉が、今も胸に残っています。樋口氏がIBMに入社して間もない頃、理系出身でソフトウェア開発を志していたにもかかわらず、最初に配属されたのはまさかの財務部門でした。 「なぜ自分がここに?」という戸惑いの中で、当時の上司からかけられたのがこの言葉でした。 最初は手応えもなく、ただ目の前の仕事に向き合う日々。しかし、やがて気づく。 「与えられた環境に甘んじるのではなく、自分の軸を持ち、自分の意思でキャリアを切り開くことが大切なのだ」と。 その後、研究開発部門に異動し、AIや機械学習のプロジェクトに携わるようになります。周囲からは「本当にやっていけるのか?」と心配されることもありましたが、実は裏でずっとコードを書き続け、技術を磨いていました。そうした努力が評価され、チャンスをつかんだ。 「自分のやりたいことがあるなら、会社の指示を待つだけではなく、自分で動く。責任も自分で持つ。」 それが本当の意味でのキャリア形成だと思います。 この“自走する力”は、現在の仕事にも通じています。カインズやワークマンを含む大規模グループでの合意形成や制度改革、カルチャー変革においても、丁寧なコミュニケーションとフットワークの軽さが大きな武器となりました。 「どんなに優れた戦略や技術があっても、人と人との信頼がなければ前には進めません。だからこそ、コミュニケーションを丁寧に積み重ねることが、リーダーシップの本質だと感じています。」 ビジネスとITの両面でリーダーシップを発揮し続ける樋口氏。その原点には、若き日の「自分の軸を持て」という言葉と、それを信じて行動し続けた自分自身の姿があります。 「こういう道もある」:若者に示す、新しいキャリアのロールモデル 「自分のキャリアは、自分で作る。」 この言葉を軸に、樋口氏はこれまで16の職種を経験し、IT業界の最前線で多様な役割を担ってきました。前職ではCIO(最高情報責任者)とCDO(最高デジタル責任者)を兼務し、DXの推進において中核的な役割を果たしてきました。 「5~6年前にDXという言葉が広まり始めた頃、ふと考えたんです。ITの“提供側”としてのキャリアだけで本当にいいのか?」 その問いに導かれるように、樋口氏は“使う側”――つまり事業会社の立場で、自らの経験を還元する道を選びました。プロバイダーとして培った知見を、今度は現場で活かす。それが、CIOやCDOとしての真の価値だと考えました。 「これまでの経験をフルに使える場所を、自分のキャリアの集大成として選びました。それは単なる転職ではなく、新しいキャリアの“型”を自ら作る挑戦でもありました。」 この挑戦は、次世代へのメッセージでもあります。IBM時代の仲間たちが外資系の大手企業で活躍する中、樋口氏は“対岸”に立ち、事業会社の中から変革を起こすロールモデルになりたいと語ります。 「少し大げさかもしれませんが、自分自身が新しいキャリアのパターンを示す存在になれたらと思っています。若いメンバーが“こういう道もあるんだ”と感じてくれたら、それが一番の喜びです。」 そして、もう一つ大切にしているのが「人との縁」だ。かつての同僚や仲間たちとのつながりが、今もキャリアの中で生きています。 「キャリアは一人で築くものではありません。仲間とのご縁や、人生の中で出会う人々との関係が、自分の役割を形づくってくれる。そう実感しています。」 DX時代のリーダーに求められるのは、技術だけではありません。 自らの経験を活かし、未来の世代に道を示す“志”こそが、真のリーダーシップなのかもしれなません。 “橋渡し役”から“変革の主役”へ:経営と未来をつなぐCIO/CDOの真価 CIOやCDOというと、どうしても“テクノロジーの人”という印象を持たれがちです。でも、本質はそこではありません。 そう語るのは、IBM、カインズ、ワークマンやロート製薬など、異なる業界で経営とテクノロジーの橋渡しを担ってきた樋口氏。彼が強調するのは、「経営視点」の重要性です。 「経営とは何か?それを自分の言葉で語れるほどに理解していなければ、どんなに優れたテクノロジーも、会社のための施策にはなりません。」 AIやDXといった先端技術を導入する際も、それが企業の方向性と合致していなければ、単なる“趣味”で終わってしまう。だからこそ、経営の現状を深く理解し、「なぜ今それをやるのか?」を明確に説明できる力が求められます。 「テクノロジーと経営が結びついて、初めて“優先順位”が生まれるんです。」 さらに、樋口氏は未来を見通す力の重要性にも言及します。AIの進化が象徴するように、5年前には想像もできなかった世界が今、現実になっています。 「5年後、10年後に何が起こるのか。完璧に予測することはできなくても、情報を集め、精度の高い“先読み”をする努力は必要です。」 そのためには、テクノロジーへの深い理解と、経営・社会の動向を読み解く力、そして人とのコミュニケーション力が不可欠です。 「そんな人材が本当にいるのか?と思われるかもしれません。でも、だからこそ、私たちはその“総合力”を磨き続けなければならないのです。」 DXとは、単なるデジタル化ではありません。 それは、企業の未来を見据え、経営とテクノロジーをつなぐ“変革”そのもの。 樋口氏の言葉は、これからのCIO/CDO像に新たな視座を与えてくれます。…