オルツで何が起きたのか?
オルツ社の不正の根幹にあったのは「循環取引」と呼ばれるスキームです。これは一見すると複雑ですが、本質は「自分で自分に発注して売上を作る」という単純な偽装工作に他なりません。その仕組みは、まずオルツ社が取引先である販売パートナーに対して「広告宣伝費」や「研究開発費」などの名目で資金を提供することから始まります。次に、その資金を受け取った取引先が、そのお金を使ってオルツ社の主力製品「AI GIJIROKU」のライセンスを「購入」します。最終的に、オルツ社はこの「購入」代金を正規の売上として計上することで、自社から出た資金が形を変えて売上として還流するサイクルを完成させていました。
第三者委員会の調査によれば、こうして「購入」されたライセンスの多くは実際には利用されておらず、発行すらされていないケースもありました。これは、取引に経済的実体が全く伴わない、完全な架空取引であったことを示しています。このスキームの巧妙な点は、自社の資金を環流させることで、架空売上にもかかわらず現金が動いているように見せかけ、不正の発覚を困難にした点にあります。
不正が発覚する以前から、同社の財務諸表には数多くの危険信号が現れていました。例えば、2024年12月期には売上高60億円に対し広告宣伝費が45.8億円と、売上の75%を超える異常な水準でした。これは、売上を作るために同額近いコストを外部に支払っていることを示唆しており、循環取引を疑うべき最大の兆候でした。また、「急成長」を謳いながら、営業活動によるキャッシュフローは一貫して大幅なマイナスであり、計上された利益が実際の現金に結びついていない典型的なサインでした。さらに、オルツ社が扱うのは物理的な在庫のないソフトウェア(SaaS)であるため、製造業のように在庫を数えるといった物理的な監査が難しく、ライセンスが本当に顧客に使われているかの検証が甘くなりがちでした。この業界特有の脆弱性が、不正の温床となったのです。
疑惑は、元従業員とみられる人物によるSNSでの内部告発や、アナリストによる財務分析によって水面下で広まっていました。しかし、決定的な転機となったのは、2025年4月の証券取引等監視委員会による強制調査でした。これにより、会社は第三者委員会の設置を余儀なくされ、同年7月28日、ついに不正の事実を公表するに至ります。創業社長は辞任し、株価は暴落、上場廃止の危機に瀕することとなったのです。
この事件は、単に経営者個人の資質の問題だけでは片付けられません。「5年で時価総額1兆円」という創業者CEOの壮大なビジョンは、投資家を魅了する一方で、社内に「いかなる手段を使っても成長を達成せよ」という強烈なプレッシャーを生み出しました。この「成長至上主義」の文化が、非現実的な目標達成のため、不正に手を染める動機となったことは想像に難くありません。
企業の健全性を保つべき監視役、いわば「ゲートキーパー」たちがその役割を果たせませんでした。まず経営陣と取締役会において、創業者CEOと不正に関与したとされるCFOに権力が集中し、取締役会は彼らの決定を追認するだけの「イエスマン」で固められていたと指摘されています。経営を監督すべき取締役会が、完全に形骸化していたのです。次に、監査法人である監査法人シドーは、数々の危険信号があったにもかかわらず不正を見抜けませんでした。専門家としての厳しい目が機能していたのか、重大な疑問が残ります。また、IPOの主幹事証券であった大和証券は、企業の価値やリスクを厳しく審査するデューデリジェンスの責任を負いますが、不正な数字に基づいた成長ストーリーをなぜ見抜けなかったのか、その審査プロセスの実効性が問われています。また、SBIインベストメントなど著名なベンチャーキャピタルも株主として名を連ねていましたが、彼らはある程度内部情報にアクセスできる立場にありながら、不正を抑止できませんでした。「AIブーム」の熱狂の中で、高いリターンが期待できるIPOを優先し、厳しいチェックを怠ったのではないかという批判もあり得るでしょう。
この事件から得られる教訓は?
この事件から得られる教訓を立場別に考えてみましょう。
スタートアップ創業者・経営者にとっての教訓
まず、幻想ではなく誠実な文化を築くことが求められます。成長目標よりも、倫理的な行動規範を優先する企業文化を創業初期から構築することが重要です。不正によって作られた成長は、砂上の楼閣に過ぎません。次に、早期から本物のガバナンスを導入することも不可欠と言えるでしょう。内部統制や社外取締役をコストや足かせと捉えず、経営陣に臆せず「ノー」と言える独立性と専門知識を持った社外取締役の存在が、暴走を防ぐための大きな助けとなります。そして、「本質的な指標」に集中することも大切です。見せかけの売上高ではなく、ユニットエコノミクス(顧客一人当たりの採算性)や営業キャッシュフローといった、事業の健全性を示す本質的な指標に目を向けることが望まれます。
ベンチャーキャピタル(VC)・投資家にとっての教訓
投資家には「信頼し、されど検証せよ」という姿勢が求められます。ピッチ資料の美しいストーリーを鵜呑みにせず、契約書や資金の流れを精査する徹底したデューデリジェンスが有効な手段となり得ます。特に、売上と費用が不自然に連動している取引は、慎重に検討すべき点です。また、規律あるパートナーであることも重要になります。取締役会での役割は単なる応援団ではなく、財務の健全性について建設的な質問を投げかけ、規律を意識させることです。時には「耳の痛いこと」を伝えることが、真のパートナーシップに繋がるでしょう。さらに、KPIを多角化することも考えられます。売上成長率だけでなく、その「売上の質」、例えば解約率の低さやキャッシュ創出力などを評価する多角的な視点を持つことが、虚構の成長を見抜く鍵となるかもしれません。
監査法人・証券会社・規制当局にとっての教訓
ゲートキーパーの責任のあり方について、改めて議論を深める必要があるかもしれません。重大な見落としがあった場合の監査法人や主幹事証券に対する責任を明確化し、審査プロセスの実効性を高めていくことが考えられます。同時に、SaaS監査の高度化も求められるでしょう。物理的な実体がないSaaSビジネスの監査には、従来とは異なる高度な手法が不可欠であり、実際の利用ログの検証を義務付けるなど、業界の実態に即した監査基準の見直しが急務と言えます。
実質を見るエコシステムへ
オルツ事件は、資本市場において「物語(ナラティブ)」がいかに魅力的であっても、最終的には「実質(ファンダメンタルズ)」によって裏付けられなければ崩壊するという、厳しい現実を突きつけました。この事件は、日本のスタートアップエコシステムにとって大きな汚点であると同時に、成熟に向けた重要な転換点となり得ます。熱狂に流されず、誠実な企業統治と本質的な事業価値を何よりも重んじる文化へ。物語主導の評価から、実質主導の評価へと移行することこそが、第二のオルツを防ぎ、未来の真のイノベーションを育むための近道なのではないでしょうか。