度重なる法改正で派遣先企業の負担増大 派遣業界は成長産業であるとともに多くの課題を抱えている。そのためこれまで労働者派遣法は何度も法改正が行われてきた。 簡単に法改正の歴史をたどってみると、1996年から2007年にかけて規制緩和が進み、派遣可能な業務が拡大、2012年改正では日雇派遣の原則禁止とグループ企業内の派遣の規制強化が行われ、2015年改正では派遣期間の上限を原則3年に統一、雇用安定措置を導入した。2020年改正では同一労働同一賃金の実現を目指して待遇格差の是正が行われ、2021年改正では派遣契約のデジタル化と派遣労働者の苦情処理の強化が打ち出された。そして2024年改正では労働条件の確認・照会の徹底と派遣先から派遣会社への情報提供義務が課されるようになった。 このような中で労働者派遣法は度重なる法改正や指針等の変更に伴い、その都度、派遣契約書や管理台帳などの記載項目や情報提供内容などの変更を求めている。しかし変更内容を派遣先企業の担当者が適正かつ詳細に把握し、個別の労働者派遣契約や管理台帳に不備なく反映することが難しい状況になっている。 そのため派遣先企業からは「契約書のやり取りに時間がかかる」「詳細な点を変更したいのにできない」といった不満の声があがってしまう。 「これまで人材派遣業務では、取引企業とのコミュニケーションは営業担当が行ってきました。しかし派遣法が何度も改正され、対応しなければならない事項が増えて行ったりして、働き方改革を進めながらもその一方で我々の生産性を上げ、質の高い顧客対応が求められるようになったのです。そこでこれまでのような営業を中心としたコミュニケーションだけでなく、webを活用したコミュニケーションを考えるようになったわけです」 人材派遣最大手のパーソルテンプスタッフのDX推進本部クライアントDX推進部長の山下未希氏は派遣業界初のBtoBプラットフォーム「T-PLA(ティープラ)」を開発した理由についてこう語っている。 派遣先企業とのコミュニケーションにwebを活用 テンプスタッフがデジタルを活用した課題解決に乗り出したのは2019年ごろのことだった。営業企画部門で最初の立ち上げ作業が行われた。 「営業企画部は日夜、営業の課題をどう解消するのか検討しているのですが、さまざまなお客様からヒヤリングをし、いろいろな声があがってきました。そうした声を踏まえ、どのような仕組みを作ればお客様満足度を満たしていけるのか、議論しました。そのような中でwebをお客様とのコミュニケーションツールにしようという話が持ち上がったわけです。当時としてはまだ、webを使ってお客様とのコミュニケーションを図るということはほとんどおこなわれていませんでした。2、3年後を見据えた議論でしたが、それでも営業企画部のマネジャークラスから『やってみようじゃないか』という声が上がり、開発がスタートしました」(山下氏) テンプスタッフがシステム開発をするときには、いくつかの部門とプロジェクトを組んで、進めていくようになっている。このプロジェクトではシステム企画と営業企画、開発部門がタッグを組んだ。プロジェクトチームは約10人、さらに外部の2社のベンダーが協力した。 機能を拡充していくために段階的に改修が行われた。これには大きな狙いがある。 「大きな構想としては、取引先に使っていただくシステムと並行して派遣スタッフが使うスタッフアプリと営業社員が使う営業用のスマホアプリの開発を進めながら、3つのシステムを連携させながら円滑なコミュニケーションが取れるような仕組みづくりを最終的な構想として考えていました」(同) 派遣先企業のフィードバックをデジタル化 ティープラの最初の開発のポイントは、大きく分けると2つ。ひとつは派遣活用にあたって必要となる情報、人材課題解決につながるようなコンテンツの提供。そしてもう一つは派遣依頼後の進捗状況から契約・請求などの情報をサイトで確認できる機能だ。 「一つ目は改正が繰り返される派遣法の問題などで、お客様が直接、対応しないといけないようなことがいろいろ出てくるので、こうした問題の対応策やコンプライアンス関連の問題の対策などについて情報提供しています。さらに2つ目は基幹システムと連動しているので、お客様が直接、管理に関する契約書や請求書を閲覧することができます」(同) この開発で腐心したのがスピード感だったという。 「最初に検討されたのが顧客対応のスピードです。営業一人だけで対応すると、お客様からの電話に出られずに、対応に遅れがでてしまうことがありました。しかしwebサイトを見ていただければ、お客様の必要な情報が即座に入手できます。契約や請求関連の話など営業でなくても答えられるような内容もまた、webサイトで確認し、不明点があったらバック部門に連絡をとれるようにすることで、適宜にお客様に情報提供することができるようになったわけです」(山下氏) システムが完成したのは2020年3月。ちょうどコロナが蔓延し始め、取引先は次々に在宅勤務に切り替えていた時期だ。在宅勤務をしながらもwebサイトで情報収集できる仕組みを提供したことで、利用者が拡大していった。 「2020年3月のシステム開発完成から9月の正式リリースまでの間に導入したのは、20社ほどでしたが、その後1年間の間に3000社を超える勢いで広がっていきました。当初は全国にいきなり広げたわけではなくて、在宅勤務をしている首都圏を中心にしたのが功を奏したのだと思います。その後そうした取り組みが全国に広がっていきました」(同) 現在は取引企業の70%で導入しているという。 2段階目の改修は2022年から開発をスタートした。狙いは派遣先企業とテンプスタッフとのコミュニケ―ションの接点を強化だ。ここで取り組まれたのが派遣スタッフの定期評価回答や担当者変更の手続きをweb上で行える仕組みづくりだった。以前は派遣先企業から派遣スタッフに直接コメントを届けるような仕組みはなかったという。 「派遣先企業の担当者から営業担当者が話を聞いて、その話を営業担当者が『お客さんはこんな話をしていたよ』と自分たちの言葉で派遣スタッフに伝えていました。これでは臨場感が伝わりませんし、営業担当者によってニュアンスも違ってきてしまいます。なんとか派遣先企業の担当者の生の声を派遣スタッフに届け、それを励みにしてもらいたいと思ったのです」(同) それだけではない。派遣先企業側にも派遣スタッフの成長を可視化したうえで見てもらえる、そんな仕組みづくりの必要性を感じていたのだという。 仕組みはいくつかの項目に派遣先企業の担当者がチェックを入れ、回答していくというものだ。最後にはコメント欄があり、スタッフへのメッセージやエピソードを書き込むことができるようになっていた。 「お客様からのフィードバックの内容を履歴として見られるようになっていて、派遣スタッフがどのくらい成長したのかを、お客様の側でも可視化して見ることができるような仕組みになっています。また当社を中心に派遣先担当者、派遣スタッフとのよりよい関係を構築し、派遣スタッフのモチベーション向上や派遣先組織へのパフォーマンス向上に寄与すると考えています」(同) このとき開発手法はアジャイル開発を導入した。アジャイル開発は要件の変更があっても柔軟に対応できるため、顧客ニーズや市場の変化に追従しやすく、小さな単位で機能を開発・リリースするため、ユーザーのフィードバックをすぐに反映しながら品質を高めていける。テンプスタッフは2024年3月、リリースした。 生成AIを派遣スタッフの評価システムに活用 ところが派遣スタッフの定期評価リニューアルのテスト運用において派遣先から「評価の意図をうまく伝えることができない」「改めてコメントを文章にしようとすると悩んでしまい時間がかかる」など不安の声が寄せられた。 普段から人事評価をしていて慣れている人もいれば、そうでない人もいる。そこで生成AIを活用してコメントを作成し、それを当事者が補正するというアシスト機能を追加した派遣スタッフの評価システムの開発を2024年10月から開始した。 テンプスラッフがAIを活用するのは初めての試み。企画、開発にはパーソルグループのテクノロジーの実装・活用を強化する組織であるCoE(Center of Excellence)の力を借りた。 さらに新しい科学技術を社会実装する際のコンプライアンスや倫理規範などにも十分注意を払ったのだという。大阪大学・社会技術共創研究センター(ELSIセンター)と電通が共同で設立した倫理的・法的・社会的課題(Ethical, Legal and Social Issues; 以下ELSI)領域での課題解決に向け、ルール整備等について検討する産学共創プロジェクト「データビジネスELSI研究会」で議論を重ねた。 そのため生成AIガイドラインやパーソナルデータ指針を遵守し、サードパーティーがインターネット上で集めた一般的公開データで機械学習が行われ、入力内容は学習データとしては利用されていない。派遣スタッフの一人ひとりの権利・利益を第一に考え、不当な差別や排除に生成AIが利用されることがないようにするためだ。 ティープラは派遣先企業が作成した評価表を基にコメントの作成を行うが、目的と合致し作成者の意図と乖離しない的確なコメントにしていくためにはいろいろ苦労があったという。 「お客様が入れていただいたチェック項目や評価しているポイントやエピソードなどを踏まえて、コメントを生成する仕組みになっています。お客様からコメントを貰うことにした背景としては、普段常に一緒に仕事をしている派遣先の方々からの声を可視化して届けることが、一番スタッフのモチベーションアップ及び貢献意欲に繋がると思った(効果実証済み)ので、“評価”というよりは“労い”や“感謝”を伝えることを重視したものの、過剰な賞賛や評価項目とのズレに違和感が出るなど、その調整が一番難しかったです」(同) 解決方法としては、プロンプト(AIへの指示)を何度も組みなおしながら複数の目を通してトライ&エラーを繰り返し、サンドイッチ方式の記載にすることで人間らしい自然な文章になるよう工夫した。サンドイッチ方式とは、指摘事項があるときに相手の受け止め方を和らげる方法で、最初に「よいところ、評価できるところ」を伝えて、次に「気になるところなどの指摘事項」を伝え、最後にプラスのコメントで終わらせる創業者の篠原(欣子)も大事にしていたコミュニケーション手法だ。 AIアシスト機能はコメントを生成機能とともに、コンプライアンスに関わるようなNGコメントも検知する。 しかし生成AIとはいえ、文書の作成やNGコメントのチェックが必ずしも完璧とは言えない。そうした生成AIのミスをカバーするために社員が生成AIとダブルチェックするハイブリッド型の仕組みにしている。Human in the Loop(HITL、人間参加型AI活用)だ。人が関与するのは何もAIのためだけではない。ティープラを導入しているのは全体の7割。3割の派遣先企業は手書きなどでコメントを寄せてくる。こうした手書きのコメントの中にあるNGチェックもしなければならないからだ。 生成AI機能はオン・オフの選択ができ、生成後のコメントは編集・削除が可能で、保存前に派遣先担当者が最終確認を行う仕様になっている。 今後の対応として、評価の情報を派遣スタッフがアプリでみることができるようにする開発を進めているほか、こうした評価をもとに、どういう研修を受けたらいいのか、という提案もしていきたいという。 AIに詳しいConvergence Lab.社長の木村優志氏は次のように語っている。 「テンプスラッフのケースはシステム開発のお手本のような印象を受けます。AIの活用にしても、やるべきことをちゃんとやっています。多くの企業はAIを過信してしまってチューニングをするとその後のチェックがおろそかになってしまうのですが、HITLを活用しながら人間のチェックをきちんと入れている。今後はHITLでチェックしたものをどうフィードバックするかが課題となります。さらにAIモデルに『どのように応答すべきか』という具体的な指示(インストラクション)を学習させるインストラクションチューニング(Instruction Tuning)の導入なども検討する必要があるのではないでしょうか。大規模言語モデル(LLM)で、ユーザーの意図に沿った自然な応答を生成することができるからです」
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