CIOは「技術管理者」から「価値設計者」へ AI導入が進まない日本のCIOに求められる視点とは

美馬のゆり(みまのゆり)
学習環境デザイナー/学習科学者、公立はこだて未来大学 名誉教授。日本学術会議 第26期・第27期会員、電気通信大学 監事。電気通信大学(計算機科学)、ハーバード大学大学院(教育学)、東京大学大学院(認知心理学)で学ぶ。コンピュータと教育、認知科学の幅広い視点から、コミュニケーションや人材育成、ネットワーク形成などを促進する活動を行っている。その他、マサチューセッツ工科大学メディアラボ客員研究員、NHK経営委員会委員、カリフォルニア大学バークレー校人工知能研究所および人間互換人工知能センター客員研究員などを歴任。元日本科学未来館副館長。

日本でAI導入が進まない本当の理由

生成AIの活用が世界規模で進む中、日本企業の多くはいまだ本格的な導入に至っていない。ChatGPTを業務で試した経験はあっても、組織全体への定着には達していない企業が大多数だ。

一方、米国では状況が異なる。米国心理学会が2025年に発表した「Work in America」調査によると、47%の労働者が月1回以上業務でAIを使用していることがわかった。30%が「使わないと取り残される」と感じ、38%が「自分の職務が不要になる可能性」を懸念している。AIはすでに日常業務に深く浸透し、効率向上への期待と同時に、不安や組織内格差といった心理的・組織的影響をもたらしていることを示す調査結果だ。「AI導入は、人の不安と期待を前提にした制度設計と不可分である」という結論をレポートは導き出している。

では、日本でAI導入が進まない背景には何があるのか。美馬氏が講演や企業との対話を通じて見えてきたのは、能力や技術力ではなく、構造的な問題だという。第一に、(AI導入前に)DXの目的が組織内で十分に共有されていないこと。第二に、業務ルーチンの変更を望まない現場の意識と、それに引きずられる形で「クライアントが望まないものは提案しない」というベンダー側の行動原理。そして現状維持を合理的選択にしてしまう評価制度がそれを後押しする。

統計データをPDFで公開する、カルテを電子化するといった「本質ではないこと」で止まってしまう例は枚挙にいとまがない。このような状況を招く根本原因として、美馬氏が指摘するのは「設計思想」だ。例えば、EV専業の自動車メーカーTesla。頻繁にソフトウェアアップデートがかかり、一晩で画面表示が刷新されることも珍しくない。美馬氏はUCバークレーAI研究機関に在籍時にTeslaに乗っていた経験から、「日本では容易に受け入れられない仕様」と話す。日本の自動車産業の設計思想が確実さ、安全性、高い完成度であるとすれば、進化のスピード、継続的改善、実装後の修正といった設計思想を持つTeslaは正反対と言えるからだ。「これはどちらが良い・悪いの優劣ではなく、設計思想の違い」と美馬氏は説明する。

これを踏まえてみると、AIの技術的性質と日本とは相性が良くない。「AIは本質的に不完全。どんどん更新され、試すたびに精度が上がるという技術です。これは、”完成してから導入する”という日本の発想とは合わない」と美馬氏。日本にはAI導入が進みにくい構造がある、と続けた。

AI時代の技術判断は価値判断―ーCIOは「価値設計者」に

そのような状況でCIOはAIを導入しなければならない。そしてAIの導入では、CIOに新しい役割が加わると美馬氏は見る。

これまでCIOの重要な役割の1つに技術判断があった。だが、AI導入をめぐっては何を自動化するか、どの役割を再定義するか、どのスキルを価値とみなすかなどの判断も入ってくる。そしてこれらは、純粋な技術の判断ではなく価値の判断だ。

価値判断が重要であることを示した象徴的な事例がAmazonだ。採用選考にAIを導入しようとした際、過去の採用実績(男性が多数)を学習データとしたため、女性を不当に低く評価する結果となった(結局、導入は中止)。「どういう学習データを選ぶのか自体が、AI導入の判断にかかってくる」と美馬氏。技術的に可能であることと、組織として妥当であることは一致しない——そうした判断の前提を決めているのは、突き詰めればIT技術者であり、経営判断を下すCIOだ。

美馬氏はこう言い切る。「CIOは技術管理者であると同時に、組織の価値設計者でもある」。

価値を考えるにあたって美馬氏がまずスポットを当てるのが、「最適化と望ましさは一致しない」という視点だ。効率やコスト削減といった数値化できる指標が優先される一方、「数値化できるものを指標にした途端、そうじゃない優秀さは漏れていく」と美馬氏。

何を価値とみなすかを決めること自体が問われている。だからこそ美馬氏は倫理を中核に置く必要性を説く。倫理とは守るべき規則ではなく、価値が衝突し正解が定まらない状況において判断の拠り所となる枠組みだ。「何を良しとするか」という問いを組織の基盤に据えること——それがCIOに求められると美馬氏は言う。

技術者倫理3層モデル

このようなことから、AI導入にあたって価値設計者としてのCIOが考えるべき枠組みとして、美馬氏は「技術者倫理3層モデル」を提示する。第1層は「予見責任」——導入前に職務への影響をマッピングし、移行計画を可視化すること。第2層は「説明責任」——導入目的・影響範囲・限界を組織内で共有すること。そして第3層が「組織的ケア責任」だ。

特に第3層について、「ケア責任とは、情緒的配慮ではなく、人的資本の毀損を防ぐ経営責任」だと美馬氏は言う。AI導入で影響を受ける人材の能力移行を制度として保証すること——それは「優しさ」ではなく、人材という経営資源を守るための責務だ。「少子高齢化が進み、人材不足が深刻化する中、AI導入で影響を受ける人材を他の業務へ移行させることは、組織が果たすべき経営上の責務だ」と美馬氏。自分の仕事がなくなるかもしれないという不安を抱えた社員に対し、トップダウンで導入を命じるだけでは反発を招く。影響を受ける人材の不安に向き合い、移行の道筋を組織として明示すること——それが制度設計としてのケア責任の本質だ。この視点は人事部門との緊密な連携なしには実現しない。

さらに美馬氏は、技術者が担うべき倫理にもう一つの視点を加える必要があると説く。従来、技術者の倫理は「技術が社会に与える影響」「組織人としての責任」「専門職としての説明責任」という3つの観点で論じられてきた。しかしAI時代においては、「生活者倫理」の視点が必要だ、と美馬氏。AIコンパニオンと結婚する人が世界中に現れ、亡くなった家族とサブスクリプションで「会える」サービスまで登場している現在、技術を開発・導入する側もまた、その影響を受ける生活者の一人だ。「使う側・影響を受ける側としての判断が、今や4つ目の倫理として必要になっている」。

AI時代の人材育成を設計する

AI時代は人材面でも見直しが不可欠だ。先述の米国の調査で明らかになったように、AI導入に社員は不安を感じている。雇用そのものに対する不安ももちろんだが、業務のやり方や内容が変わることはキャリアの断絶を伴う。人材育成もまた、倫理を基盤に設計される必要がある。

「従来の『作業効率』『コスト削減』という指標だけでは、人材への影響を捉えることはできない」と美馬氏。AI時代に必要な指標として、スキル転換完了率、再配置成功率、組織内AI成熟度、そして心理的安全性——「導入しても大丈夫」と社員が感じられるかどうか——を挙げる。効率から持続可能性へ。その転換が、人材育成KPI再設計の核心だ。

「AI時代の人材育成とは、ツール操作を教えることではなく、変化を前提に学び続ける構造を設計することだ」と美馬氏は言う。加えて、変化を引き受ける倫理を育てることも重要になるという。そのような考えから、美馬氏は「リスキリング(学び直し)」よりも、新しいスキルを足す「学び足し(アップスキリング)」の視点が重要と話す。

WHYを問い続ける

冒頭のように、日本のAI導入が進まない背景には文化・制度・設計思想という構造的な問題がある。だが、AIを導入しないという選択肢はない。落とし所をどうするかーー「ここは肝になる」と美馬氏。悲観しているのではなく、「紙一重のところに希望がある」と言う。

「空気を読む」「場を整える」「察する」——日本社会に根付く関係性を重んじる感性は、美馬氏が提唱する「Humane Learning Design(HLD)」の考え方と深く響き合う。HLDとは、問いを立て、対話し、文脈と関係性に応じて責任ある判断を行うという学びの思想だ。humaneという言葉には、humanよりも人道的・思いやりという意味が込められている。個人の最適化ではなく「間」を整える倫理的な感性——これはケアの倫理の核心とも重なる。

ただし、関係性を重んじる感性は忖度と「紙一重」だと美馬氏は注意を促す。「空気を読みすぎて、失敗を許されない文化になると、何も変えないということになってしまう」。現場が課題を最もよく把握しているにもかかわらず、声が届かない——この構造はあらゆる組織に共通する病理だ。関係性を重んじる感性を活かしながら、変化を許容しオープンであること。「変化していくことを許すとか、関係が変わっていくことをよしとするとか、そういう意味での開かれた文化が必要だ」と美馬氏は言う。

その両立が実現できれば、日本はAI時代において独自の強みを発揮できると美馬氏は考える。「日本の『関係性の知』を、日本オリジナルとして世界に発信できるのではないか」。

最後に美馬氏がCIOに向けて強調するのは、「なぜ使うのか」という問いだ。「AIをどう使うかというHowやWhatの議論は進んでいる。でも、なぜ使うのか、何は使わない方がいいのか、何を人間の側に残しておくべきかというWHYの議論はされていない」。

美馬氏はこの問いに向き合う力を「AI Readiness」と呼ぶ。「使いこなす能力ではなく、判断に向き合う準備状態」——それを組織に根付かせることが、価値設計者としてのCIOに求められる最も重要な役割だと美馬氏は言う。「使うことの意味と影響、そして使わない判断。そこの判断が、人を生かしていく社会を作ることにつながる」と美馬氏は述べた。


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Source: News

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