SIerからユーザー企業へ――キャリアを変えた決断
——これまでのキャリアについて教えてください。
私のキャリアは富士通のシステムエンジニアとして始まりました。学生時代は文系でしたが、コンピューターへの強い関心からIT系の仕事を選び、ほぼゼロからのスタートとなりました。
配属先は物流業の大手顧客で、新人研修を終えてわずか3カ月後には徹夜で働いていました。当時のSEはそういうものでしたが、がむしゃらにお客様に食らいつき、あらゆることを吸収しながら進んでいく姿勢は、このころに培われたように思います。
富士通では物流領域の複数のお客様を担当しながらシステム導入に携わり、その後、物流ソリューションの統合というグループ横断的な取り組みにも関わりました。2010年頃からはアイデアソンやハッカソンといった新ビジネス創出の活動にも参画し、イノベーションの領域へと踏み出しました。
その後、当時の上司からの声かけがきっかけとなり、ミツカングループへ転籍しました。富士通に骨を埋めるつもりでいた私には大きな転機でしたが、多くのベンダーのトップの方々と直接対話できた経験はとても大きなものでした。
2021年8月に現職の日本化薬へ入社しました。ミツカンでの約5年半を経て56歳を迎えるタイミングで、「自分がどう評価されるか、もう一度世の中に問い直したい」という思いが生まれ、ユーザー側から日本の企業変革に貢献したいという信念のもと、現職を選びました。
最大の成果は「人と人のつながり」
──これまでのキャリアにおける最も大きな功績をお教えください。
これまでの最大の実績を一言で語るのは難しいのですが、3つの局面から振り返ってみたいと思います。
富士通時代の大きな仕事としては、グループ内でバッティングしていた複数の物流ソリューションを全社で統合する取り組みが挙げられます。多岐にわたる関係者からコンセンサスを形成する過程で、調整力と俯瞰的な視点の重要性を深く学びました。
ミツカングループでは、グローバル IT 企画部長として、日米英の3拠点のIT企画を担当することになりました。2017年にWannaCryというランサムウェアが猛威を振るったことから、日米欧3局で事業継続を担保するバックアップ体制のガバナンスを構築し、同時期に、グローバルでOffice 365のコミュニケーション環境を統一するプロジェクトも推進しました。英語が得意ではない私にとって、自分を追い込むような挑戦でしたが、人的ネットワークを地道に構築したことがプロジェクトの推進力になりました。
日本化薬では、20年ほど大きな更新が行われていなかったERPを刷新し、2025年1月に本番稼働させたことが大きな実績といえるかもしれません。
ただ、こうした個別プロジェクトの成否以上に、私が最も大切にしてきた実績は「人と人のつながりを丁寧に紡いできたこと」です。ベンダーとの関係を発注・受注の主従関係ではなく、対等なパートナーシップとして築いてきた姿勢こそが、すべての活動の土台になっていると感じています。
ERP再建プロジェクトで試された実行力
──大きな実績を上げるまでにはどのようなチャレンジがあり、それは現職でどう生かされていますか。
私のキャリアの根底にあるのは、富士通の先人が残した「とにかくやってみろ」という言葉です。入社前にすでに退任されていた元会長、小林大祐さんの言葉ですが、この精神は一貫して私の行動規範となっています。まず動いてみること、そこから学ぶこと——この姿勢が今の私の土台になっています。
富士通時代には、入社3年目でありながら顧客の役員と直接渡り合う場面もありました。「もう3年もうちの仕事をやっているんだからわかっているよね」と問われたとき、「当然です」と答えるような覚悟で臨んでいました。それだけの責任感と、富士通の総力を引き出してお客さまに届けるという使命感が、当時の私を成長させてくれたと思っています。
現職でのERPマイグレーションは、その集大成ともいえる挑戦でした。プロジェクトが難航する中でERPベンダーの幹部との接点を意図的に作り、「問題を一緒に解決しましょう」と直接持ちかけました。導入ベンダーの幹部がERPベンダー側の幹部と同期だったという偶然のご縁も重なり、問題解決のスピードが加速しました。全体では一時期数か月に渡る遅れとなったプロジェクトを年度内にどうにか挽回できたのは、まさに挑み続ける姿勢と、人のつながりがあって実現できた結果だと思っています。
富士通時代に関わったFUJI HACKというハッカソン活動での経験も、現在のDX推進に直結しています。新しいプロセスが創り出されそれを実践の場に取り込んでいくという感覚は、今まさに日本化薬で取り組もうとしているDXの仕掛けにそのまま活きていきます。それぞれの挑戦が、次の場面で応用できる知恵として蓄積されてきたという実感があります。
流れに身を任せるというキャリアの選択
——仕事をする上で心に残っているアドバイスはありますか?
キャリアの中でもっとも心に響いたアドバイスは、「五十にして天命を知る」という言葉です。
富士通からミツカンへの転籍のお話をいただいていた2017年初頭、私は本当に悩んでいました。30年近く在籍した富士通を離れ、まだ経験が浅かったユーザー企業の世界に踏み出すことへの不安は相当なものでした。そんなとき、富士通時代から懇意にしていた方から「五十にして天命を知る、ということじゃないか」という言葉をいただいたのです。「その時々の流れに身を任せてみることも大切なんじゃないか」というわけです。
さらに驚くことに、ミツカンの取引先懇親の場で当時の富士通社長とお話しする機会があり、そこでも全く同じ「五十にして天命を知る」という言葉をかけていただいたのです。2人の方から同じことを言われたときに、これは世の中の流れが自分に示しているサインだと確信しました。その日のうちに転籍を決意し、富士通の常務に「これからの富士通をお願いします。私はミツカンでがんばります」と伝えました。
この経験以来、流れに乗ることへの抵抗感がなくなりました。2023年頃からさまざまなご縁が重なり、CIOの横のつながりが急速に広がりました。登壇機会をいただいたり、CIO賢人倶楽部への参加や、あるCIOイベントで議長からモデレーター、パネル登壇までを務める機会にも恵まれました。CIO30アワードでリーダーシップアワードをいただいたことも、そのご縁の延長線上にあります。あの時の言葉と決断が、今の自分の人生訓の根幹になっていると思っています。
20もの重要なテーマに挑むための組織づくり
——情報システム部長として、どのようなところにやりがいを感じますか?
2021年8月に日本化薬へ着任した当初、情報システム部門は24〜25名体制でしたが、ERPの更新や情報セキュリティ強化をはじめ、約20近い重要なテーマが抽出されていました。
「とにかく体制をつくろう」ということでスタートを切り、経営陣から「全部任せる」という言葉をいただきました。そのプレッシャーと期待を糧に、2022年1月から運用保守体制の整備を進め、現在は外部リソースを20名強増強し体制拡充しました。
プロジェクトはコンサルファームのメンバーと弊社部員を組み合わせた体制で、複数案件を同時並行で進めました。スピード感のある意思決定を求められる場面が続きましたが、部員だけでなくプロジェクトに参画するパートナー全員が一丸となって走り抜けたことで、3年半ほどで約20のテーマをほぼ完遂することができました。
世界最大のリサーチ会社から「なぜあの体制からそこまでできたのか」と問い合わせがあり、2023年に登壇の機会をいただいたことも、大きなやりがいの一つでした。
20のテーマの中でも、ERPマイグレーションは特に印象深いプロジェクトです。ベンダーとの間で激しいやりとりが続き、正直なところ喧嘩状態に近い局面もありました。しかし稼働後、「誰が悪い、悪くない」という話ではなく、この経験を次に活かすためのフィードバックの場を設けようと提案しました。三者合同の振り返り会をベンダー本社で開催し、その後の懇親会では非常に良い関係が築けました。
その取り組みがERPベンダーのカスタマーサクセス事例として取り上げていただくことにもなりました。難しい局面をともに乗り越えたからこそ生まれる、より強固なパートナーシップも、この仕事の醍醐味の一つだと思っています。
CIOに必要なのは「責任を引き受ける覚悟」
——CIOに必要な資質とは何でしょうか?
自分のプロジェクトマネジメントやリーダーシップが常に成功だったかといえば、そうとは言い切れません。IT ベンダー時代には大きな失敗もあり、お客様にご迷惑をおかけしたこともありました。ただ、その経験も含めて、今、特に大切にしていることが2つあります。
1つは、心理的安全性の確保です。例えば若いメンバーが作成した議事録に私がレビューコメントを返した後、「修正したものをもう一度確認してください」と言われることがあります。私はその都度「それは受けません」と伝えています。「コメントを踏まえて修正することはあなたの仕事であり、私はすでにGoを出した責任を負っている。だからこそ、やりたいことを表明し、オーダーしたものには私が全ての責任を持つ、だから全力でやって下さい」——そう言い続けてきました。
情報システムのメンバーは、元々すごく高いポテンシャルを持っていたと思っていて、私がやったことは、それを解き放つことだったのだと思っています。着任から1年ほどで、工場から「情シスさん、変わりましたね。パワフルになった」と言ってもらえるようになったのはとてもうれしかったですし、マネジメントとして非常に重要な取組みだったと思っています。
もう1つは、有事の際に率先して現場に降りることです。前職で1年半ぐらい解決できなかったシステム障害があったのですが、私が情報システムに移ったタイミングで、ベンダーの技術チームを呼んで、直接動作確認をした結果、1時間ほどの打ち合わせで解決に至ったのです。これは富士通でたたき込まれたテクノロジーの本質的な理解と、現場に自ら降りていく姿勢があったから解決できたように思います。
ERPのマイグレーションでも同様に、Excelの進捗表をグラフ化させ、週次で遅れを可視化しながらベンダーの上長も交えた打ち合わせを定期開催するようにしました。自ら現場に降りて問題を解き、その姿を見せることが、組織のリーダーとして非常に重要なことだと思っています。
── リーダーシップの源泉となった経験はありますか?
失敗の場面こそが最大の学びの機会だと、今も強く思っています。若いころ、深夜の一人作業でトラブルが発生し、サポートセンターに問い合わせながら朝までに復旧させなければならない、という経験を何度も積み重ねました。その経験が、有事に即断即決できる感覚を体に刷り込んでくれたのだと思います。「ここで動かなければ問題は大きくなる」という勘所は、若いころの現場の経験から生まれた、私にとっての財産です。
ITリーダーとして成長するための3つの視点とは
——これからCIOを目指す人材に求められるスキルは何でしょうか?
これまでの経験を踏まえて、ITリーダーを志す方へお伝えしたい3つのポイントがあります。
1つ目は、一定の技術的な力量をしっかり身につけることです。
ベンダーに頼る場面が多くなっても、プロジェクトの良し悪しを判断するためには、同じ目線でやりとりできる技術の素地が欠かせません。AIエージェントが登場した現代でも、汎用機の時代から培ってきた「考え方の軸」は普遍的に応用できます。プロジェクトマネジメントや技術の勘所を若いうちに身につけておくことが、後の応用力の基盤になります。
2つ目は、知らない領域にも勇気を持って飛び込むことです。
自分を追い込む環境に置いてこそ、より貪欲に物事を吸収しようとする姿勢が育まれます。新たな環境に飛び込むたびに視野が広がり、できることの幅が広がってきました。
3つ目は、外部との接点を広く持つことです。
ベンダーのトップとのつながり、CIO同士の横のネットワーク、イベントでの出会い——こうしたつながりが、有事のときに上の層に相談できる回路になります。人のつながりを大切にすることは、失敗を最小化し、成功へとつなげるための、最も実効性の高い投資だと感じています。
DX Readyな企業へ――IT基盤整備の次のステージを目指す
——今後の展望と取り組みをお教えください。
弊社では2025年度をもって中期事業計画「KV25(KAYAKU Vision 2025)」が一区切りを迎えます。この会社に入った当初からこの計画とともに走り、ITの基盤側から「DX Readyな状態」を作ることを大きな目標としてきました。
2026年からは新たな長期経営計画「Evolution2035」がスタートします。2035年に向けて会社を急成長させることが掲げられており、昨年の経営トップ交代とともに、そのビジョンが形になりつつあります。
AIやAIエージェントが2035年頃に人間の能力を超えるとも言われるこの時代、デジタルをいかに事業成長に組み込むかは、経営上の最重要テーマになります。これを受けて、私は昨年3月の経営会議から「DX」の表記をあえて「dX」に変えました。大文字のXが示すトランスフォーメーション——本当の意味での変革は、これからが本番だというメッセージです。
これまでの私はIT領域の専門家として支援する立場にありましたが、これからはIT側から越境して、変革を牽引する役割を担いたいと考えています。その一歩として、4月に新たな準備室組織を立ち上げることを経営に上申しました。IT部門の人材だけでなく、研究・生産分野のメンバーも織り込み、各事業領域にもDX推進人材を配置してもらう体制で、3年後、6年後、10年後のありたい姿を逆算で描いていきます。
ロボットやヒューマノイドが業務プロセスに組み込まれ、人がテクノロジーをコントロールしていく時代を見据えながら、「ITは情シスに任せればいい」という考え方が通用しなくなる世界を前提に、一人ひとりの社員がデジタルを使いこなすことを当たり前にする文化変革を目指します。
まずは3年後の事業のあるべき姿から逆算することがスタート地点です。10年後がどんな世界になっているかは、正直なところ誰にも予測できません。生成AIの登場でさえ、世界最大のリサーチ会社の予測より2〜3年早く実現してしまいました。それほどのスピードで技術は進化しています。
だからこそ、「IT部門が考えること」という枠を外し、経営から現場の一人ひとりまでデジタルを使いこなすことが当たり前の組織文化を作ることが、2035年の大きなテーマです。私はIT側から現場に降りていき、文化を変えにいくという気概を持って、このチャレンジに臨みたいと思っています。
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