ロボタクシーの夢の先へ――アメリカのモビリティスタートアップはいま何を目指しているのか

パンデミック後のモビリティ市場と投資環境の変化

まず押さえておきたいのは、「モビリティそのものの市場は拡大を続けている」が、「スタートアップへのマネーの付き方はがらりと変わった」という点である。

モビリティ・アズ・ア・サービス(MaaS)市場は、世界レベルで見ると2024年時点で約2,000億ドル規模と推計されており、2030年代前半にかけて数倍規模への成長が予測されている。都市化、スマートフォン普及、脱炭素圧力といった追い風は依然として強く、米国でもライドシェア、カーシェア、サブスクリプション型の車両利用サービスまで含めた「所有から利用へ」のトレンドは定着したと言ってよい。

しかし、2021年前後の「マネー余り」の時期と比べると、2023〜2025年のベンチャー投資家の態度は明らかに慎重になっている。象徴的なのが、電動キックボードなどのマイクロモビリティ分野で、2024年の世界の投資額は前年の約4分の1程度にまで落ち込んだとされるレポートもある。

興味深いのは、「需要」はむしろ伸びていることだ。北米全体で見ると、シェア型のマイクロモビリティ(シェア自転車やシェアスクーター)の利用回数は2024年に2億2,500万回に達し、前年から約3割増加したと報告されている。つまり、ユーザーの行動としてはモビリティサービスを使う方向に動いている一方で、投資家は「赤字を垂れ流すグロースストーリー」から、「収益性と規制対応を前提にしたビジネスモデル」へと評価軸を切り替えたということになる。

結果として、米国のモビリティスタートアップは、次のような圧力にさらされている。ひとつは、都市や州政府とのパートナーシップを前提にした、より「インフラ寄り」のビジネスへ舵を切ること。もうひとつは、ソフトウェアやデータサービスを通じて既存プレーヤー(自動車メーカー、交通事業者、エネルギー企業)を支える「B2B/B2Gプラットフォーム」として生き残りを図ることだ。派手なユニコーンよりも、地味だがキャッシュフローを生み続ける事業に資金が集まる構図が強まっている。


自動運転スタートアップの再編――ロボタクシーの夢と現実

モビリティの象徴として注目を集めてきたのが、自動運転ロボタクシーである。かつては「数年でドライバーはいなくなる」と語られたが、その期待はここ数年で大きく揺さぶられている。

とりわけインパクトが大きかったのが、GM(ゼネラル・モーターズ)による自動運転子会社Cruiseへの投資停止と、ロボタクシー事業からの撤退決定だ。GMは2024年末にCruiseへの資金拠出をやめ、ロボタクシーの商業化ではなく、自社車両向けの高度運転支援機能(Super Cruiseなど)にリソースを振り向ける戦略転換を発表した。Cruiseは2016年以降、100億ドル超の投資を受けてきたが、2023年の事故をきっかけに規制当局からの厳しい目にさらされ、事業継続の正当性が問われる形となった。

一方で、自動運転そのものが頓挫したわけではない。カリフォルニア州の走行データを見ると、WaymoやZooxといった企業は2023〜2024年もテスト走行距離を伸ばしており、特にZooxは有人試験(安全ドライバー同乗)でCruiseを上回る走行距離を記録するなど、技術開発は着実に前進している。つまり、「完全自動運転タクシーを全米で一気に展開する」というシナリオが非現実的だったのであって、限定エリアや用途を絞った形での自動運転活用は引き続き模索されている。

宅配向けの自動運転スタートアップも同様だ。路上を走る小型配送ロボットで知られるNuroは、2022年以降、複数回にわたって大規模なレイオフと事業再編に踏み切り、派手な商業展開からいったん距離を置いて研究開発にフォーカスする戦略へと移行した。これは、自動運転ハードウェアのコスト、センサー価格、保険・法規制対応などを考えると、短期的に黒字化するビジネスモデルを組み立てるのが難しいという冷厳な現実の表れでもある。

こうした状況を受け、米国の自動運転スタートアップの多くは、いくつかの方向に分岐しつつある。ひとつは、WaymoやZooxのように、巨額のバック(Google親会社AlphabetやAmazonなど)を得て、時間をかけて「技術と規制の両方を前提にした都市交通インフラ」を目指す路線。もうひとつは、自動運転そのものを前面に出すのではなく、ADAS(先進運転支援システム)やフリート管理、シミュレーションなど、「自動運転関連のソフトウェア・ツール群」として既存メーカーに技術を提供する路線である。

いずれにしても、「ロボタクシーで人間ドライバーを一気に置き換える」というストーリーは後景に退き、「人とAIが共存するかたちで移動の安全性・効率性を高める」という、より地に足のついたテーマに再定義されつつあると言えるだろう。


EV・マイクロモビリティインフラに向かうスタートアップのフロンティア

他方で、この数年で最も「熱い」領域のひとつがEV充電インフラ関連のスタートアップである。

Crunchbaseのデータによれば、2023〜2024年にかけてEV充電に特化したスタートアップ65社だけで、累計49億ドル以上のエクイティ資金(VC投資や助成金を含む)を調達している。ここには、急速充電器のハードウェアを開発する企業だけでなく、充電ネットワークの運営、課金・会員管理プラットフォーム、フリート向けエネルギーマネジメントソフトなど、多様なプレーヤーが含まれている。

アメリカ政府側の後押しも大きい。連邦政府や運輸省は、数十億ドル規模の補助金スキームを通じて高速充電ネットワーク整備を支援しており、民間の充電事業者やスタートアップは、これらの公的資金とVCマネーの両方をレバレッジして事業拡大を図っている。

具体的なスタートアップの例としては、ニューヨーク発の「It’s Electric」が分かりやすい。ブルックリンを拠点とする同社は、路上駐車が多く自宅ガレージを持たない住民が多いという都市構造に着目し、住宅や店舗の前の歩道に小型のEV充電器を設置するモデルを展開している。電気代は建物のオーナーが供給し、その代わりに年間数千ドル単位の収入を得られる仕組みを構築し、Uberなどからも出資を受けている。「充電器をどこに置くのか」というインフラの空白を、スタートアップが不動産オーナーとのマッチングを通じて埋めていく典型例と言える。

グローバルに見ると、EV充電インフラのスタートアップは米国、インド、欧州を中心に1000社以上が活動しており、その中でもニューヨークやサンフランシスコは主要ハブとして位置づけられているとの分析もある。米国発のスタートアップは、大規模インフラというより、「ソフトウェアとデータで既存インフラの稼働率を最大化する」方向に強みを持つケースが目立つ。具体的には、充電ステーションのダイナミックプライシング、フリート車両の充電スケジューリング、電力グリッドと連動した需給調整(バーチャルパワープラント)などだ。

一方、マイクロモビリティでは「投資縮小・需要増加」というギャップが続くなかで、スタートアップはよりニッチでB2B寄りの領域へとシフトしている。シェアスクーターのフリート運営から、企業キャンパス内・工場内移動や観光施設内の足としてのマイクロモビリティ提供へと軸足を移したり、デリバリー事業者向けに電動バイク+バッテリースワップステーションをまとめて提供する「モビリティ・アズ・ア・サービス for 事業者」のようなモデルが登場している。

総じて言えば、アメリカのモビリティスタートアップの最前線は、「人を乗せて走るサービス」そのものよりも、それを支えるインフラとソフトウェア、そして行政・大企業とのパートナーシップ構築へと重心を移している。


「交通のスタートアップ」から「インフラのスタートアップ」へ

ここまで見てきたように、アメリカのモビリティスタートアップは、かつてのような「アプリ一つで交通革命を起こす」というフェーズを抜け、「規制」「安全」「インフラ投資」「収益性」といった現実の制約条件と真正面から向き合う段階に入っている。

自動運転ロボタクシーのように、一時は象徴的な存在だったビジネスモデルが後退する一方で、EV充電やマイクロモビリティインフラ、データプラットフォームなど、より目立たないが着実に価値を生む領域に起業家と資本が流れ込みつつある。モビリティをめぐるイノベーションは、車両そのものから、インフラ・ソフトウェア・ガバナンスを含む「エコシステム全体の再設計」へとスケールアップしたとも言えるだろう。

日本からこの動きを眺めると、単にアプリや車両のコピーを目指すのではなく、「都市のインフラ投資」「電力システム」「規制との対話」を含めた総合戦略としてモビリティビジネスを構想することの重要性が見えてくる。アメリカのモビリティスタートアップの現在地は、今後の日本のモビリティ政策・ビジネスモデルを考えるうえでも多くの示唆を与えてくれるはずである。


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生活インフラになった日本のフードデリバリー市場――拡大する便利さと見えてきた課題

コロナ禍で一気に拡大した日本のフードデリバリー市場

日本のフードデリバリー市場は、もともと寿司やピザ、仕出し弁当など「電話で注文する出前文化」をベースに成長してきました。ところが2010年代後半から、アプリ経由で注文できるオンライン型のサービスが登場し、構造が大きく変わりました。Uber Eatsが日本でサービスを始めたのは2016年で、当初は東京の都心部が中心でしたが、その後数年で主要都市に広がり、「アプリで頼む出前」という新しい利用スタイルが定着していきました。

転機になったのは新型コロナウイルス感染症の流行です。外食市場全体が2019年比でマイナスとなる一方、デリバリーは大きく伸び、2022年のフードデリバリー市場規模は約7754億円と、2019年比で八割以上増加したとされています。その後も成長は続き、調査会社NPDジャパンのレポートによれば、2023年のデリバリー市場は約8600億円規模と、前年からさらに約一割伸びました。別の民間調査でも、2023年時点のフードデリバリー市場規模は約8620億円とされており、2019年の2倍以上の水準に達していることが示されています。

ここでいう「デリバリー市場」には、アプリ型のフードデリバリーだけでなく、寿司・ピザの出前、ケータリング、ゴーストレストランなども含まれますが、伸びをけん引したのはやはりアプリ型サービスです。背景には、外出自粛や営業時間短縮で飲食店側が新たな販路を求めたこと、テレワークや在宅時間の増加で自宅にいながら食事を済ませたいという需要が高まったことがあります。

コロナが落ち着いた現在でも、「外食は外食、デリバリーはデリバリー」という住み分けが進み、市場は高い水準を維持しています。今後についても、オンラインフードデリバリー市場は2025年度時点で約70億ドル(約1兆円弱)規模から、2033年度にかけて年平均約6%程度の成長が見込まれているとの予測もあり、短期的に「ブームが完全に終わる」というよりは、緩やかな成長フェーズに入ったと見るのが妥当です。

Uber Eats、出前館、Wolt、menu――主要プレーヤーの競争構造

アプリ型フードデリバリーの競争環境を見ると、日本では現在、Uber Eats、出前館、Wolt、menuの四つが主なプレーヤーになっています。2022年時点の分析では、売上ベースの市場シェアはUber Eatsが6割超、出前館が3割強を占めており、この二社が「二強」として市場をリードしてきました。その後もUber Eats優位の構図は続いており、2024年時点でも月間アクティブユーザーのシェアで見ると、Uber Eatsがほぼ半分を占める最大手とされています。

ただし、勢力図は少しずつ変化しています。2024年のモバイルアプリ分析によると、Uber Eatsや出前館は依然として大きな存在感を持ちながらも、Woltやmenuなどの競合にユーザーシェアを一部奪われている状況が報告されています。さらにさかのぼると、2022年にはFoodpanda、DiDi Food、DoorDashといった海外勢が相次いで日本市場から撤退しており、現在は少数のプラットフォームに集約された状態です。

各社の戦略やポジションにも違いがあります。Uber Eatsはほぼ全国の都道府県にサービスを広げたうえで、「Eatsパス」という月額制の配送料定額プランを強化し、ヘビーユーザーの囲い込みを進めています。また、ゴーストレストランやバーチャルブランドの支援にも力を入れ、飲食店が店内営業とは別にデリバリー専用メニューで売上を立てやすいエコシステムを構築しようとしています。

一方、出前館はLINEとの連携を活かし、地方都市や郊外でのシェア拡大に軸足を移しつつあります。都市部ではUber EatsやWoltとの競争が激しいため、地場の飲食店や中小都市の需要を取り込み、「地域密着」の方向に舵を切っているのが特徴です。配達員への報酬体系も、固定報酬から距離に応じた変動型に見直すなど、収益改善とサービス維持のバランスを探っている段階です。

収益面では、外資系と国内企業の明暗も見えます。Uber Eatsは2023年度から2024年度にかけて二ケタ成長を続け、2期連続で黒字を達成したと報じられています。一方の出前館は長らく赤字が続いており、直近では赤字幅を縮小しつつも、本格的な黒字化はこれからという状況です。高額なキャンペーンやクーポンに頼った顧客獲得は、利用者にとってはありがたい半面、事業者の収益を圧迫しやすく、どのように「値引き頼み」から持続的なビジネスモデルに移行するかが大きなテーマになっています。

Woltやmenuは、都市部でのブランド力や特定エリアへの強みを生かしながら、差別化された店舗ラインアップやUIの使いやすさで支持を集めています。加えて、近年はレストランだけでなく、スーパーやドラッグストア、コンビニの商品を届ける「クイックコマース」の機能を取り込む動きも強まっており、「ご飯を運ぶアプリ」から「街のさまざまな商品を運ぶインフラ」へと役割を広げつつあります。

配達員の働き方、飲食店の負担、地方とのギャップ――市場が直面する課題と展望

成長を続ける日本のフードデリバリー市場ですが、便利さの裏側にはいくつかの構造的な課題が横たわっています。その一つが、配達員の働き方をめぐる問題です。フードデリバリーの配達員は多くの場合、企業に雇用された「従業員」ではなく、業務委託契約を結ぶ個人事業主として扱われています。Uber Eats配達パートナーの労働組合との団体交渉をめぐっては、「労働組合法上の労働者といえるか」が争点となった事例もあり、プラットフォームワーカーの法的な位置づけを巡る議論は続いています。

こうした問題意識を背景に、日本では2024年11月から、いわゆる「フリーランス新法」(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)が施行されました。この法律は、フードデリバリー配達員のようなギグワーカーを含むフリーランスへの報酬支払期日の明確化やハラスメント防止など、取引上の保護を強化する内容になっており、プラットフォーム企業側には対応が求められています。しかし、社会保険や労災補償をどこまでカバーするべきかなど、一般の正社員と同じレベルの保護をどう実現するかについては、依然として議論の途中です。

もう一つの大きな論点は、飲食店側の負担です。プラットフォームに支払う手数料は、注文額の二〜三割程度に達するケースもあり、原材料費や人件費が高騰するなかで利益を圧迫しやすい構造になっています。そのため、デリバリー専用の価格を店内飲食より高く設定したり、デリバリー用メニューを絞って原価率を調整したりといった工夫が各店で行われています。消費者としても、「お店で食べるより高い」と感じる場面が増えており、どこまで価格転嫁を受け入れてもらえるかは、今後の利用頻度にも影響しかねません。

地域別にみると、都市部と地方の格差も課題です。人口密度が高く、短距離で多くの配達ができる都市部では、一定のスケールメリットが働きやすい一方、地方や郊外では注文密度が低く、配達効率を確保するのが難しくなります。そのため、Uber Eatsなどは大都市圏を中心に高頻度利用を狙いつつ、出前館はLINEとの連携を通じて地方の常連顧客を取り込むような「棲み分け」が見られます。一方で、地方の中小飲食店がデジタル販路を持つことは、観光需要の取り込みや高齢化した地域での食のインフラ確保にもつながるため、自治体や商工会が支援策を講じるケースも増えています。

今後の展望としては、いくつかの方向性が考えられます。一つは、飲食以外の領域との連携強化です。スーパーやドラッグストア、コンビニの商品を短時間で届けるクイックコマースは、共働き世帯や子育て家庭、高齢者にとって大きな利便性を持ちます。また、日用品と食事を同時に届けることで、一回あたりの客単価を引き上げることも可能です。もう一つは、データとAI活用による効率化で、天候やイベント、エリアごとの需要予測をもとに配達員のシフトやインセンティブを最適化し、待ち時間の短縮と収益性の向上を同時に狙う動きが加速するでしょう。

規模の面では、短期的な急成長期はすでに終わり、今後は「生活インフラとしてどれだけ社会に根付くか」という段階に入っています。配達員の安全と生活の安定、飲食店や小売店が納得できる収益配分、利用者が「高すぎる」と感じない価格水準――これら三つのバランスをどう取るかが、日本のフードデリバリー市場の持続的な成長を左右していきます。便利さの影で見落とされがちな論点にも目を向けながら、この新しいインフラをどう育てていくかが、これからの大きなテーマだと言えるでしょう。


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半導体の歴史――真空管からチップ戦争までの100年

真空管の時代からトランジスタの誕生へ

半導体の物語は、じつは「半導体」そのものが主役になる前から始まっています。20世紀前半、電子回路の主役は真空管でした。真空管は、ガラス管の中に電極を配置し、電子の流れを制御することで信号を増幅したりスイッチングしたりするデバイスです。ラジオや初期のコンピューターは、何千本、何万本もの真空管によって動いていました。しかし真空管は大きくて壊れやすく、電力消費も多く、熱も大量に発生するという欠点を抱えていました。

一方その裏側で、「固体」の中で電流が流れたり止まったりする現象に注目する研究も進んでいました。銅酸化物やセレンなどを用いた整流器、ドイツで発明された「ラジオ検波用の鉱石検波器」などは、現在の半導体デバイスのごく初期の姿だといえます。とはいえ、この段階ではまだ、真空管に取って代わる決定打にはなっていませんでした。

転機となったのは、第二次世界大戦後の1947年、アメリカのベル研究所での発明です。ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテン、ウィリアム・ショックレーらの研究チームが、ゲルマニウムという半導体材料を用いた「点接触型トランジスタ」を発表しました。トランジスタは、真空管と同じように信号を増幅・スイッチングできるにもかかわらず、極めて小さく、壊れにくく、消費電力もわずかです。この発明はエレクトロニクスの歴史を根本から変える出来事でした。

その後、構造がより安定した接合型トランジスタが開発され、材料もゲルマニウムからシリコンへと移行していきます。シリコンは地殻中に豊富に存在し、熱に強く、酸化膜を利用した加工がしやすいという利点を持っていました。シリコンの精製技術と、インゴット(単結晶棒)からウェハーを切り出す技術が進歩したことで、シリコン半導体は大量生産が可能になり、トランジスタラジオやトランジスタテレビなどの製品として世界中に広がっていきました。


集積回路とマイクロプロセッサが切り開いた情報社会

トランジスタの発明は画期的でしたが、複雑な電子回路を組もうとすると、個々のトランジスタや抵抗、コンデンサを配線でつなぐ必要があり、部品点数や配線の複雑さがすぐに限界に達してしまいます。この課題を解決するために登場したのが「集積回路(IC)」です。1950年代末から1960年代初頭にかけて、ジャック・キルビーやロバート・ノイスらが、複数のトランジスタや受動素子を一枚の半導体基板上にまとめて形成する技術を確立しました。これによって、回路は小型化され、信頼性は高まり、製造コストも大きく下がりました。

集積回路の製造には、「フォトリソグラフィ」と呼ばれる技術が用いられます。シリコンウェハーに感光性の膜を塗り、マスクを通して光を当て、必要な部分だけを選択的に削ったり、ドーピング(不純物添加)したりすることで、きわめて微細なパターンを刻み込むことができます。この手法の改良を積み重ねるなかで、半導体メーカーは、チップ上に搭載できるトランジスタの数を指数関数的に増やしていきました。

1965年、インテルの共同創業者ゴードン・ムーアは、「一定期間ごとに、チップに集積されるトランジスタの数は倍増する」という経験則を提唱しました。いわゆる「ムーアの法則」です。これは厳密な物理法則ではありませんが、半導体産業の開発ロードマップとして長らく意識され、企業や研究機関はこのペースを維持するために微細化技術を競い合ってきました。

この集積の流れの中で登場したのが「マイクロプロセッサ」です。1971年にインテルが発表した4ビットCPU「4004」は、一つのチップの上にコンピューターの中枢である中央処理装置(CPU)の機能をほぼすべて詰め込んだ初期のマイクロプロセッサです。その後、8ビット、16ビット、32ビットと性能は向上し、パーソナルコンピューター、ワークステーション、サーバーへと応用の幅が広がりました。

マイクロプロセッサの進化とともに、メモリチップ(DRAMやフラッシュメモリ)や各種ロジックIC、通信用の半導体なども高度化していきます。半導体はもはや単なる部品ではなく、「情報社会を動かすインフラ」として、コンピューター、通信、家電、自動車産業を巻き込みながら急速に存在感を高めていきました。


日本とアジアの興隆、そして地政学の主役となった現在

半導体が巨大産業として立ち上がるなかで、日本は1970〜80年代に世界のトップランナーの一つとなりました。日本企業は高い製造技術と品質管理能力、官民一体の研究開発プロジェクトを背景に、DRAMなどのメモリ分野で圧倒的なシェアを獲得していきます。VLSI(超大規模集積回路)プロジェクトなどの国家的な取り組みもあり、日本製半導体は「高品質で壊れない」電子機器の象徴となりました。

しかし、日本の成功はアメリカとの摩擦も生みました。1980年代後半には日米半導体摩擦が激化し、不公正な貿易や dumping が問題視されます。これを背景に、メモリ中心のビジネスモデルに偏っていた日本の半導体産業は、1990年代以降、価格競争や為替変動、需要の変化に直面し、徐々に存在感を低下させていきました。一方で、日本企業は製造装置や材料、検査機器など、「半導体をつくるための半導体周辺産業」で世界的な強みを維持していくことになります。

同じ頃、台湾や韓国が急速に台頭します。台湾では「ファウンドリ」と呼ばれる受託製造に特化した企業モデルが発展し、設計はするが工場を持たない「ファブレス企業」との分業体制が整いました。TSMCなどのファウンドリ企業は、世界中の設計会社から受注してチップを製造し、半導体供給網の中核に成長します。韓国勢はメモリで世界シェアを伸ばし、スマートフォンや家電とのシナジーも活かしながら巨大プレイヤーとなっていきました。

21世紀に入ると、半導体の需要はさらに拡大します。スマートフォンの普及、データセンターとクラウドの拡大、AIや機械学習のブーム、電気自動車や自動運転、IoTデバイスなど、あらゆる領域で半導体が必要不可欠になりました。とくにAI向けのGPUや専用アクセラレータは膨大な演算能力を要求し、最先端プロセスで製造される高性能チップが戦略的資源として扱われるようになっています。

その一方で、トランジスタの微細化は物理的な限界に近づきつつあり、従来の延長線上のスケーリングだけでは性能向上を続けることが難しくなってきました。このため、3次元構造のトランジスタやチップレットと呼ばれる分割チップの統合、特殊用途向けアーキテクチャ、先進パッケージング技術など、新たなアプローチが模索されています。

今日、半導体は単なる産業を超え、国家安全保障や地政学の中心的テーマにもなっています。供給網の一部が止まるだけで、自動車からゲーム機、スマートフォンに至るまで世界中の生産が滞ることが、パンデミック時の「半導体不足」で広く認識されました。各国政府は、自国に半導体製造拠点を誘致し、研究開発支援や補助金を通じて「チップ戦略」を打ち出しています。

このように、半導体の歴史は、単にトランジスタや集積回路の技術的進歩の歴史であるだけでなく、産業構造の変化、国際政治、そして私たちの日常生活のあり方そのものと深く結びついています。真空管の時代から始まった「電子を制御する技術」の探求は、半導体チップという形で私たちの手のひらやポケットの中に収まり、いまもなお、次の世代のコンピューティングと社会の姿を形づくり続けているのです。


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