クリエイターの反発が始まった
生成AIが世界的に普及した2022〜2023年、クリエイティブの現場はかつてない混乱に包まれた。SNSにはジブリ風、手塚治虫風といった模倣イラストが溢れ、AIが生成したポートレートがコンテストで優勝するなど、従来の価値観を揺るがす出来事が相次いだ。だが、その熱狂の裏側で、プロのクリエイターたちは深刻な危機感を抱き始めていた。
自分の作風が無断で学習され、AIが似た絵を大量に生成する。しかも、それが商業利用されても責任の所在が不明確なままとなる。こうした不安は、ついに法廷闘争へと発展する。
2023年1月、米国のアーティストであるサラ・アンダーセン、ケリー・マッカーナン、カーラ・オルティスの3名が画像生成AI企業のStability AI、Midjourney、DeviantArtを相手取り、著作権侵害やパブリシティ権侵害で集団訴訟を提起した。
訴状では、AIがインターネット上の画像を無断で収集し、学習データとして利用していると主張され、しかも利用者がAIで作成した画像を使って原告になりすましていたという。
さらに、英国では大手ストックフォト企業のGetty Imagesが、Stability AIが同社の画像を無断利用したとして法的措置を検討していると発表した。生成画像の中にはGettyの透かし(ウォーターマーク)が残ったままのものまで存在し、同社は「自社の知的財産が大量に利用されている」と強く抗議した。
こうした訴訟は、単なる著作権問題にとどまらない。AIが生成したフェイク画像が社会不安を加速させた。実在しない爆発事故の写真がSNSで拡散され株価が急落した事件、政治家の偽画像が拡散され報道機関でさえ真偽判定に苦労する事例──こうした状況の中で、本物と偽物の境界を見失い始めていた。
2023年10月には、アンダーセンらの訴訟の一部が棄却される判断も出た。裁判所は、AI生成物が原告作品と「実質的に類似している」と証明できていない点を指摘し、MidjourneyとDeviantArtに対する訴えを退けた。しかし、Stability AIに対する訴訟は継続しており、AIと著作権をめぐる法廷闘争は今も続いている。
世界は、AIの恩恵と危険性が同時に噴き出す転換点に立たされていた。クリエイターの反発は単なる抵抗ではなく、創作の未来を守るための必然的な叫びだった。
なぜAIとクリエイターは対立するのか──依拠性という構造的問題
AIとクリエイターの対立は、単なる感情論ではない。根底には、AIの学習構造そのものが抱える依拠性の問題がある。ここでいう依拠性とは、AIが生成する画像が、どの作品や作家の作風にどれだけ依存しているかが不透明な状態を指す。
多くの生成AIは、インターネット上の膨大な画像を無差別に収集し、著作権の有無を問わず学習してしまう。つまり、誰かの作品が無断でAIの内部に取り込まれ、その作風が再現される可能性がある。
アドビ 執行役員 広報本部長の鈴木正義氏は「通常のAIは、ネット上の画像をワーッと学習してしまうのです。そこには第三者の著作物も含まれてしまう。だから依拠性の問題が起きる」と語る。
AIがどの作品を学習し、どの作家のスタイルを取り込み、どの程度似ているのか──そのプロセスがブラックボックス化しているため、クリエイターは「自分の作品が勝手に使われているのではないか」という不信感を抱く。
さらに、AIが生成した画像が商業利用されても、元のクリエイターに還元される仕組みが存在しない。AIは無断学習と無断再利用を同時に引き起こす構造を持っていた。
この構造的問題こそが、世界中のクリエイターの怒りを生んだ。AIは便利な道具である一方、透明性を欠いたまま暴走すれば、創作の土台そのものを揺るがす存在になりかねない。対立の根は深く、技術の問題ではなく信頼の問題として浮上したのである。
「商業的に安全なAI」という逆張り
生成AIの急速な普及が世界を揺らす中、アドビは他社とはまったく異なる方向へ舵を切った。2023年、同社が公開した生成AIモデル「Adobe Firefly」は、単なる画像生成AIではない。AIの性能競争に走るのではなく、商業利用に安全であることを最優先に設計された世界初の生成AIだった。
Fireflyの根幹にあるのは、学習データの徹底した限定である。多くのAIモデルがインターネット上の画像を無差別に収集し、著作権の有無を問わず学習してしまうのに対し、Fireflyが学習するのは① Adobe Stock ② パブリックドメイン(著作権が切れて、誰でも自由に使える作品)③ 許諾済みのオープンライセンス作品 の3種類のみ。
特にAdobe StockはFireflyの安全性を支える中核だ。アドビは投稿者と明確な学習利用契約を結び、AI学習を許諾してもらう。そのうえで、Fireflyが収益を上げた際には、その一部をボーナスとして投稿者に還元する仕組みを整えた。
「勝手に学習して終わりではなく、きちんと対価をお返しする。これは他社にはないアドビ独自のモデルです」(鈴木氏)
しかし、この仕組みの構築は容易ではなかった。どの画像がどれだけAIの性能向上に寄与したかを厳密に測定することは技術的に不可能で、還元モデルの設計には社内外で大きな議論があった。最終的にアドビは「Adobe Stockの販売実績(ダウンロード数)」を指標にする方式を採用し、透明性と公平性のバランスを取った。
Fireflyの特徴は、透明性を後付けではなく最初から組み込んだ点にある。Fireflyで生成した画像には、自動的に Content Credentials(来歴情報、C2PA準拠のメタデータ)が付与される。これはアドビが2019年から進めてきたCAI(Content Authenticity Initiative)と、国際標準C2PAの技術を統合したもので、生成物がAIによるものかどうかを明確に示すデジタル署名の役割を果たす。
PhotoshopやLightroomにも来歴情報の付与機能が標準搭載され、クリエイターは特別な操作をしなくても透明性を確保できるようになった。
Fireflyは、アドビが2019年から築いてきた信頼インフラの上に成り立つAIである。学習データの透明性、著作権者への還元、生成物の来歴証明──これらを最初から組み込んだFireflyは、他社モデルとは根本的に異なる思想で設計されている。
そしてFireflyの登場は、アドビの戦略を鮮明にした。アドビが目指すのは、AIモデルそのものの覇権ではなく、AIを使う場所──PhotoshopやIllustratorといった制作現場そのものを押さえることだ。AIを制作ツールに自然に溶け込ませ、クリエイターの作業効率と表現の幅を広げる。これは、世界中のクリエイターが日常的にアドビ製品を使うからこそ可能なアプローチである。
Fireflyは、AIとクリエイターの対立を“技術”ではなく“信頼”の問題として捉えたアドビの答えであり、AI時代の創作環境を再設計するための象徴的なプロジェクトとなった。
文化庁「AIと著作権に関する関係者ネットワーク会議」──アドビが示した透明性の原則
アドビは企業としての取り組みにとどまらず、日本の政策形成にも積極的に関与している。その象徴が、文化庁が2024年に立ち上げた「AIと著作権に関する関係者ネットワーク会議」だ。生成AIの急速な普及により、著作権制度が前提としてきた人間による創作という枠組みが揺らぎ始めた今、AI開発企業、権利者、クリエイター、プラットフォーム事業者が一堂に会し、共通理解を築くための対話の場として設置された。
この会議は、法制度を議論する審議会とは異なり、現場の課題を共有し、AI時代の著作権のあり方を実務レベルで整理することを目的としている。AIが何を学習し、どのように生成し、その結果に誰が責任を負うのかAIの学習データ、生成プロセス、責任の所在といった論点──これまで曖昧だった領域を、関係者が率直に議論する場だ。そこにアドビが招かれたのは、AIを提供する企業であると同時に、Adobe Stockを通じて学習される側でもあるという、極めてユニークな立場を持つからだ。
アドビは会議の中で、Fireflyの学習データの扱い、Adobe Stock投稿者への還元モデル、来歴情報(Content Credentials)の仕組みなど、自社が実際に行っている取り組みを説明した。
会議の場でアドビが一貫して強調したのは、「透明性こそがAI時代の信頼の基盤である」という原則である。AIがどのデータを学習したのか、生成物にAIがどの程度関与したのか──その履歴を明確にすることが、クリエイターの権利を守り、社会の信頼を維持する唯一の道だと訴えた。
ネットワーク会議では、Fireflyの学習データが許諾済みコンテンツに限定されている点も触れられた。無断学習を前提とした他社モデルが批判を浴びる中、アドビは早い段階から透明性と還元の仕組みを整え、クリエイターの権利を守る姿勢を示してきた。
会議では、AI倫理・ガバナンスに関する取り組みや対価の還元の取り組み、海賊版に対する対応など、多岐にわたる議論が交わされた。アドビはその中で、技術的な観点だけでなく、クリエイターの実務や国際的な潮流を踏まえた意見を提示した。
アドビの参加は、単なる企業姿勢の表明ではない。AIと著作権をめぐる国際的な議論が激化する中、日本が世界に遅れずルール形成を進めるための重要な一歩だった。Firefly、CAI、C2PA──アドビが積み上げてきた“信頼の技術”は、政策の場でも確かな存在感を放っている。
AIとクリエイターが共存する未来へ──アドビの挑戦は続く
アドビが描く未来は明確だ。AIがクリエイターの仕事を奪うのではなく、創造性を最大化する現代の工房として機能する世界である。
アドビは今後、Fireflyの透明性強化、Adobe Stockの還元モデルの拡充、C2PAの普及促進、生成AIと制作ツールのさらなる統合を進めていく。さらに、ChatGPTやGoogleのモデルなど、外部AIとの連携も加速させる。
AIを開発するうえで「クリエイターの権利尊重」「商業的に安全な生成AI画像」というアドビの精神は、今後ますます重要性を増すだろう。
AIとクリエイターの対立は、技術の問題ではなく信頼の問題だ。アドビはその信頼を築くために、透明性・還元・説明責任という三本柱を掲げ、AI時代の創作環境を再設計しようとしている。
AIとクリエイティブが共存し、誰もが安心して創作できる未来へ── アドビの挑戦は、まだ始まったばかりだ。
Read More from This Article: 生成AIはクリエイターの敵か味方か──アドビが示す「商業的に安全なAI」の条件(後編)
Source: News

