未来を予測する航空機整備革命:JALが切り拓くゼロゼロ100の挑戦

安全・安心を達成するために掲げられた社内目標「ゼロゼロ100」 2018年5月24日、熊本空港(熊本県・益城町)を離陸した直後に日本航空(JAL)機でエンジントラブルが発生、複数の部品が落下するという重大インシデントが発生した。 エンジンの内側に損傷が生じ、タービンのブレード(羽根)が広範囲で破損。そのブレードの破片が地上に落下し、熊本県益城町の病院の窓ガラスや車のフロントガラスが損傷。さらには工事中の建築物が損傷するなどの被害が発生した。 運輸安全委員会は29日、左エンジンに前後合わせて7段あるタービンのうち、前から2段目以降のブレード(羽根)が大きく破損していたことを明らかにした。 JALの赤坂祐二社長(現会長)はこの日、落下物被害のあった熊本県益城町に訪れ、西村博則町長に謝罪。その後新聞社の取材を受けて「本当に申し訳ない、原因を究明し、不安を解消したい」と述べた。 航空機の安全・安心に力をいれてきた赤坂氏にとってはショックだったに違いない。 赤坂氏は整備畑出身。東京大学大学院工学系研究科を修了するとJALに技術系の職員として入社、2014年4月には執行役員整備本部長とJALの航空機の整備を手掛けるJALエンジニアリング社長に就任した。そして赤坂氏はJALエンジニアリングの内部目標として掲げたのが『ゼロゼロ100』だ。 JALエンジニアリング(JALEC)のデジタル推進部統括マネジャーの豊永純也氏は「ゼロゼロ100」について次のように語る。 「私達は、常に安全・安心な機体をお客様に提供することが責任です。その責任を果たすために私たちは、『圧倒的な航空機の機材の品質』を実現することが重要であると考えております。では『圧倒的な機材品質』とはどのようなものなのか。それを突き詰めたのが『ゼロゼロ100』という理念です。一つ目がエンジン空中停止を含む運航阻害件数をゼロ、飛行中の不具合表示件数をゼロ、定時出発率を100%にしようという目標指標を『ゼロゼロ100』と私達は呼んでいます。これを私たち整備部門が社員一丸となり取り組んでいます」 この「ゼロゼロ100」を実現していくためには「壊れたら直す」から「壊れる前に手を打つ」に整備のやり方をシフトしていく必要があると考え、センサーやデータ分析技術を使って設備や機械の状態をモニタリングし、故障を検出する故障予測やそうした予測を踏まえて整備を行う予測整備に力を入れるようになったという。 赤坂氏はその後、JALの常務執行役員などを経て2018年4月にJALの社長に就任した。 社長就任が内定した1月24日の記者会見では次のように語っている。 「長く安全の最前線に身をおいてきた経験から、安全運航こそがJALグループの存立基盤であり社会的使命であること、その意味や重要性を体の隅々に染み込ませてまいりました。引き続きこの自分の原点と培った信念をもとに安全運航を守ってまいる所存です」 「私は常日頃、私が社長を務めているJALエンジニアリングの社員に対し、『航空機の安全を守る整備のプロフェッショナルとして誇り高い信念を持とう。すぐれた品格と豊かな人間性を兼ね備えた技術者に成長していこう。そのためにはJALフィロソフィをベースにみなで精進を重ねていこう』このように話してきました」 そのような中で起こった重大インシデント。赤坂氏にはこの問題は深く突き刺さった。新聞のインタビューで次のように語っている。 「あらためて責任の重さを痛感している。整備出身者として、もっとやるべきことがあると強く感じている。(エンジン部品を落とす)重大インシデントを起こし、熊本県益城町の皆さんには、たいへん迷惑をかけた。航空安全は、飛行機に乗っている人だけではなく地上に被害がおよぶ。安全の対象を幅広く捉え、全力で取り組む」 JALイノベーションラボから生まれたAI内視鏡 ゼロゼロ100の理念の実現に向けてAI導入が検討され始めたのが2019年4月。JALのオープンイノベーションの要「JAL Innovation Lab(JALイノベーションラボ)」から生まれたアイデアだった。 JALイノベーションラボはさまざまな部門で活躍する社内人材と社外パートナーシップの知見を集め、オープンイノベーションでDXを加速させ、IT部門の取り組みにとどまらず、全社で新たな価値創造を推進できる体制を整備するためのものだ。JALの整備部門の理念である「ゼロゼロ100」の実現もまた大きな課題として取り組んでいた。 エンジンのAI内視鏡活用の開発や実証試験を行ったJALエンジニアリングのエンジン整備センター企画グループの名古屋大義氏は次のように語る。 「イノベーションラボでは今までの固定概念にとらわれずに、いろんな業界の技術を調べていって、転用できそうな技術を検討していたわけですが、正直最初は本当に手探りでした。一番最初からAIありきではなくて、予測整備はどういうところから取り掛かっていけばいいのか考えました。そしてIBMなどのパートナー企業とビッグデータ解析みたいなところからアプローチをしていく中で、AIにたどり着いたわけです。そして医療用のAI技術がエンジンの整備に使えそうなので、ひとまず検証してみようという話が出たわけです」 イノベーションラボが注目したのはクレスコが開発した医療AIによる画像認識技術。これを使って「航空機エンジン内部の検査ツール」を開発しようというものだ。 航空機のエンジンは内部には何百枚のタービンブレードがあり、工業用内視鏡を使って検査を行っている。しかしブレード一つ一つの故障リスクを見分けるのは整備士としての長年の経験と技術が求められる。さらに「ゼロゼロ100」を実現するためには、単に損傷を見つけて修理するだけでなく、さらに高度な予測整備をすることが求められる。 そのような中でイノベーションラボはクレスコが医療分野で実績のある画像認識技術や機械学習で用いられるニューラルネットワーク(画像を見分ける仕組み)を応用してエンジンの内部画像を見やすく処理し過去の画像データと比較するなどのエンジン内視鏡検査支援ツールの共同研究を行った。 「医療用AIと航空機のエンジンでは当初、大きさがあまりにも違うので難しいのではないか、という声もありました。しかし医療用AIは、その画像から普通と違うところが何かあるのか、という判断をするもので、やるべきことは一緒だろう。大きさが違うからといって、問題はない、ということになりました」(名古屋氏) アイデアからトライアルまで紆余曲折があった。19年に提携して共同開発がスタートし、コロナ前の2020年にトライアルをしようとしたが一時中断。2021年から再びトライアルの話が再開し、2022年10月、正式発表につながった。 データが膨大で予兆の特定と予測の精度向上が難しい故障予測 AIによる予測整備はなにもエンジン回りだけではない。飛行機自体の整備でも活躍している。 飛行機は一度事故を起こせば、大きな事故に繋がるから、そうならないような設計思想が採用されている。しかしそれでも事故が起こってしまってからでは取り返しがつかない。だからこそ、あらゆる可能性を事前に予測し、対処することが求められる。 しかし故障予測をするためにはデータが必要だ。使用するのは自社データ。しかしそのデータは非常に膨大だ。 JALエンジニアリングの信頼性管理グループの中西新史グループ長は次のように語る。 「フライトデータを用いた故障予測を行う上での困難さは、データが複雑かつ膨大であるということです。そのため、予兆の特定と予測精度の向上が難しいのですが、これらの課題に取り組むことで、より効果的な整備が可能になります」 なぜデータが複雑かつ膨大になってしまうのか。フライトをしているときの機体のセンサーデータを取るには、エンジンの回転数、油圧の温度、動翼の動き、環境データ、外気温、気圧、飛行経路、巡航高度などを測定するために機体の各所にセンサーが設置されている。 センサーは1秒間に一回の頻度で記録され、1時間で3600回、14時間飛行する国際線ならば、5万400回分。各所に設置されたこうしたデータを統合して分析することになる。気の遠くなるような膨大な作業となる。 そのような中で効率的かつ正確に処理するには技術が必要だ。しかもセンサーの品質自体に問題がある場合もあるので、分析をする前には慎重にデータの観察をし、データクリーニングなどの前処理をすることが不可欠だ。 「その膨大な数のデータの中から適切なデータを収集し、故障を未然に防ぐための特徴を見つけ出すことは非常に挑戦的です。壊れてから対処するのではなく、壊れる前に手を打つ方向にシフトすることで、より効果的な整備が可能となります。このプロセスには多くの努力が必要ですが、その成果は大きいと信じています」(中西氏) 膨大なデータの中から有意な特徴量を見つけ出す仮説探索型分析 故障の予兆を特定する場合に問題となるのは、航空機によって様々な故障のパターンがあり、故障に対する予兆も異なるという点だ。特定の故障に対する予兆を見つけるには、膨大なデータの中から故障に関係する特徴量を見つける必要がある。特に電気系統の部品は、メカニカルなアクチュエーター(駆動装置)を作動させるものと違って、不具合に至るシナリオの仮説が難しい。 そこで取り入れたのが仮説探索型分析だ。仮説探索型分析とは事前に仮説を立てずにデータを観察し、新たなパターンやトレンドを見つけ出す分析手法で、未知の問題や新しい洞察を得る際に特に有効だといわれている。 「膨大なデータの中から有意な特徴量をいかに見つけ出せるかが鍵となります」(中西氏) 予測の精度を上げるためには故障発生その直前のデータが必要になってくる。ところが最近の航空機は品質が向上し、今までと比べると故障頻度自体が少なくなってきている。そのため故障発生時のセンサーデータ自体が少ない。 こうした問題を解決するために取り入れているのが異常検知手法だ。 「これまで数年間のアプローチは、壊れたことがある部品に対して壊れないように対応することでした。最初は経験ベースで、過去に経験した壊れ方に対してデータが異常に表れることを仮説として立て、それを検証する作業を行っていました。これが最初の故障予測のアプローチでした。しかし、この方法には限界があります。そこで、正常なデータのパターンを学習し、それから逸脱するデータを異常として検出する『異常検知』の手法を取り入れることで、それまで故障経験のない部品に対しても故障の予兆を早期に発見し、未然に防ぐことができます」(中西氏) 日々のデータから異常が検知された情報はアラートで伝えられ、適切なタイミングで整備作業が行われる仕組みになっている。 こうしたJALエンジニアリングの取り組みに対してAIに詳しいConvergence Lab.社長の木村優志氏は次のように語っている。 「仮説探索型分析は、機械学習の分野で変数選択と呼ばれる技術の一種でしょう。予測に必要な説明変数を探索する技術です。予測結果の安定性を上げるために重要です。異常検知は、製造業のラインなどで利用する製造機械の故障予測や製造物の自動検品などにも使われる技術です。一般に、正常な画像に比べ故障している状態などの異常な画像は稀なため、データの収集が困難です。そこで、正常な画像の特徴のみから機械学習を行い、それと異なる特徴を持つものを異常と判定します。異常検知は擬似的な異常画像を人工的に作り出すことが精度向上に寄与することが知られており、その作り方がコツとなります。しかし、異常検知だけではいつ整備を行えばよいのかまでは分からず、整備回数が増えてしまうオーバーメンテナンスが起こる可能性があります。どの程度の異常度であれば整備を行うのかを判定していくことも難しさの一つです」 これに対して中西氏は次のように語る。 「ご指摘のように故障予測の精度によっては整備回数が増えるというリスクも考えられますので、精度向上に資する定期的な作成した故障予測アルゴリズムの見直しを行っています。」 Read More from…

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